「たられば」を語るなら、未来の「たられば」を語ろう。

W杯サッカー日本代表は、今朝のコロンビア戦に敗れ、残念ながらグループリーグ敗退となってしまいました・・・

サッカーについては語れるほどの知識もないのでゲームやプレイ内容に関しては触れませんが、W杯など緊迫した局面で選手たちがどんな心持ちで本番に臨んでいたのか、それを終えて、何をどんな風に考えているのかということは、興味深いところです。

「○○には、”たられば”はありませんが・・・」

サッカーやスポーツに限らずですが、重要な試合やイベントで思い通りの結果を残せなかった場合、誰もがついつい口走ってしまう言葉第一位は、いわゆる「たられば」でしょう。

「もし、~~だったら、・・・」「もし、~~であれば、・・・」というやつですね。スポーツの場合は、選手よりも解説者の方がよく使うかもしれません(笑)

そして、その際に枕詞のように使われるのが、「○○には、”たられば”はありませんが・・・」という前置き。「たられば」な話は、ないと分かっていても語りたくなってしまうものなんですね。

多くの人が、わざわざそんな前置きをするのは、今さら言ってもどうにもならないことを言い訳のように語っていることに対する後ろめたさがあるからでしょう。

だったら、そんな前置きしてまで語るのをやめればいいのに、と思ってしまうことも・・・

過去については「のでから」を語る

「たられば」話に後ろめたさを感じるのは、生産性がないからだと思います。「覆水盆に返らず」ということを誰もが理解しているからです。

それでも語ってしまうのは、現実を受け入れられないとか、うまくいかなかったことの正当化とか、ポテンシャルに関しては自分(たち)の可能性を信じたいとか、色々理由はあると思います。

この気持ち、よく分かります。ウルトラマラソンやトレイルランでは、頭の中を渦巻いているのは、ほとんどこんな「たられば」なことばかりですから。

でも、そんな時こそ、言い訳につながりやすい「たられば」という言葉を使うよりも、現実の直視につながりやすい言葉を使って考えた方が生産的な方向に気持ちが向かいやすいはず。

「~が、…だったので、どうなった」とか「~が、…だったから、こうなった」とか。

言い訳ではなく、現実を直視するためには、なぜそうなったのか原因を探るというアプローチは一つあるかと思います。正しいかどうかはこの際問題ではなく、現実を受け入れることが、この時点では大切なんじゃないかと思います。

そういう意味では、DNFレースのリタイア記をきちんと書くというのは、受け入れ難い現実を直視するいい訓練かもしれません。とってもつらいですが(笑)

未来についてこそ「たられば」を語る

それでは、「たられば」は禁句なのかというとそうでもありません。せっかく仮定を置いて想像を働かせるのであれば、その思考は未来に向かわせるべきだと思います。

つまり、過去についてではなく、未来のことについてもっと「たられば」を使いましょうということ。

「もし~が、…だったら、どうなる(かも)!」とか「もし~が、…であれば、こうなる(かも)!」と妄想が膨らみます。

未来の可能性を拡げるためのイメトレには、最適な言葉だと思います。むしろ、未来に向けては積極的に使うべき言葉ですね。

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昨日は、トライアスロン仲間と一緒に始めての2.5km泳に挑戦。

長い距離を泳いだのは4月の美ら島トライアスロン本番の1.5km以来だったので、かなり不安でしたが、途中で足がつりながらも何とか泳ぎきることができました。

自信を持って8月のアイアンマン本番に臨めるよう、距離に慣れていきたいと思います。つったのが本番でなくてよかったですが、そういう事態も本番の「Expect the unexpected.」の中に入れておきたいと思います・・・

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