ドラッカーの言う「真摯さ」ってこういうことかも。W杯開幕戦のPK判定について西村主審が語ったこと。

こちらでも書いたように、週末は缶詰でドラッカーの思想について学んでいたんですが、その中でもかなり印象的だったものに「真摯さ」があります。

マネージャーに求められる「真摯さ」

マネジメントに必要な能力は色々あるが、それ以前に根本的な資質として求められるのが「真摯さ」であるとドラッカーは言っています。

「一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。」

(P.F. ドラッカー『マネジメント』)

「真摯さ」と訳されていますが、元の英語は「Integrity」で、「軸がある」「ぶれない」といった意味合いを含んでいるようです。

そんな「真摯さ」について、ここ数日よく考えていたんですが、そんな中、本日の日経新聞Web版で、興味深い記事を発見しました。先日開催されたトークショー「国際主審の目線で語るFIFAワールドカップ」を再構成したものです。

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「W杯開幕戦のPKは…」 西村主審が明かした理由  :日本経済新聞


西村主審が語ったこと

西村主審と言えば、サッカーブラジルW杯開幕戦で、誤審か!?とも言われたPK判定の笛を吹いた方ですね。

判定について語れるほどサッカーを見る目はないので、それについては特に言えることはないんですが、別の観点で西村主審ご本人が語ったものを読んでみて、こういうことこそドラッカーの言う「真摯さ」ってやつじゃないかと思ったんですね。

せっかくなので、抜粋して紹介します。

「見えたものを見なかったことにするというのは僕に一番できないことでした。見えたものに対して、ルールに照らし合わせて正直に対応するということを、両チームの選手から委ねられているのがレフェリーなんです。

(中略)

 でも、見えてしまったものに対して正直に対応しないと、選手のためにならない。(今回の開幕戦のPKの判定は)世の中に受け入れられない結果になってしまいましたけれど。でも、そうしたことも含めてサッカーなので。」

レフェリーが果たすべき役割を、信念レベルで貫いているんだなということがよく伝わってきます。私なんかは「こういうレフェリーに裁かれたい!」と思ってしまいます・・・(サッカーやらないけど。)

しかも、あの判定自体は、結果として世の中に受け入れられていないということも理解した上で、それでも果たすべき役割を果たしたと言えるのは、確固とした信念あってこそですね。

「キッキングとか、押すという行為は程度を判断しないといけないんです。押していても、どれだけ押しているかとか。でも、押さえる、つまりホールディングは、その行為自体を反則にするということです。

なぜかというと、押すというのは偶然やってしまうことがありますが、つかみにいくというのは行為自体に意図があるので。レフェリーサイドからすると、こうしたことはすごく理解されていますが、みなさんにはそこがなかなか届いていなかった。」

私がサッカーにそれほど詳しくないというのはありますが、これは知りませんでした。程度で判断するものと、行為の有無自体で判断するものがあるんですね。

あの判定のあと、「ファウルだ(に見えた)!」「いや、ファウルじゃない(ように見えた)!」という会話やコメントを山のように見ましたが、ファウルと一括りで論じている時点で、この案件に対する”解像度”が低すぎるってことです。

プロのレフェリーとしては当然なのかもしれませんが、やはり基準の高さがまるで違いますね。

「ホールディングですが、それを甘くするとサッカーはどうなるかというと、相手のチャンスになればつかみにいけばいいじゃないか、みたいなことになります。

チャンスを抑えるということは、ウォーって(ファンの)みなさんが感動したいところを反則でもって抑えることになるので。だからホールディングは選手のみなさん我慢してください、ということなんですね。

確かに私の判定はインパクトがあったかもしれませんが、今大会はコーナーキックなどで柔道みたいになっているシーンが少なかったと思います。」

このコメントはすごく意外。審判は、ただただ冷静に客観的に試合を処理しているだけだと思っていたからです。

他の箇所でも、レフェリーは「FIFAという国から来た33番目のチームとして、W杯を成功させるためにやってきた」とも言ってるんですが、審判のための審判ではなく、あくまでサッカーを通じて感動を届ける、感動を生むという目的のためにルール運用を行っているということが分かります。

そういう意味ではあの判定自体の賛否は色々あったとしても、大会全体としては目的を達していたと言えるのかも。

審判が裁いた、という表現のされ方をよくしますが、僕たちは裁いているわけではなくて、こういう事象が起きたときに、それをどう見ますかという判断を委ねられているだけなんです。事象とルールの「つなぎ役」でしかないので。

選手が「僕、つかみました」といってくれれば、私たちの存在がなくても大丈夫なんでしょうが、誰もそんな選手はいませんから。」

レフェリーは、あくまで”事象とルールの「つなぎ役」”とおっしゃっていますが、この点一切くブレがありません。最初の引用でも言っていますが、ルールに照らして見えたものに正直に対応する、という立場が、本当に強固だなあと思います。そうでなければ、あれだけの大舞台で笛を吹くことはできないのかもしれませんが。

マネージャーに求められる「真摯さ」をもう一度

ここまで読んでみて、改めてドラッカーの言う「真摯さ」を見てみると、

「一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。」

(P.F. ドラッカー『マネジメント』)

これって、まさに西村主審が語っていることそのものでは?

審判としての西村さんの評価は分かりませんが、少なくとも一人の仕事人としてみた場合には「Integrity」だと私は感じます。もちろん、このレベルに到達するのはかなり困難ですが(汗)

しかし、この記事を読んで、「真摯さ」ということについて、ずいぶんとリアリティがでてきました。こういうことはリアリティが大事ですから。ドラッカーと併せて、折にふれてこの記事を読み返したいと思います。

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