"ラン大学"で学んだことシリーズ|(2)「出そうと思えば、いつでも全力が出せる」というのは大きな勘違い。

“ラン大学”で学んだことシリーズです。

2014年の年間テーマは、

     「身体を通して学び、学んだことを身体知化する」

でございました。走ることを通して、身体を通して、学んで、消化して、吸収して、自分の血肉にしようということで。

そういうわけで、タイトルの”ラン大学”は<ランニングについて学ぶ大学>ではなく、<ランニングを通して学ぶ大学>の意。走ることを通して学んだことを、順不同&不定期で書いていきます。

このシリーズを書き始めた経緯についてはこちらから。

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全力なんて、出やしない

ぼくも、つい最近までそう思ってたんですが、「出そうと思えば、いつでも全力が出せる」というのは大きな勘違いです。

何事においても全力なんて簡単に出せるもんじゃないです。そもそも出そうと思って出てくる力なんて、全力でもなんでもない。全力はもっとずっと向こう側にあるものです。

自分の力なのに引き出すのが難しい。自分のことにも関わらず、自分が思っているよりずっと難しい。出せて当たり前というものではないからこそ、鏑木選手や相馬選手のような、トレイルランのエリート選手がわざわざ「全力を尽くす」ということについて言及しているのだと思います。一流のアスリートですら、本番で実力を発揮できないことも多いのに、ましてや全力を出し切るなんて簡単なわけがないんです。

 

大人になると、全力を出さなくなるし出せなくなる

そもそも大人になると、全力を出すことがあまりありません。「ちょっと余裕かましてるぐらいの方がカッコいい」なんて思ってたりはしないでしょうか。

「余裕なんてないよ」「全力でやってるよ」と本人が思っていても、脳が全力だと思い込ませた”安全圏における全力”に過ぎなかったり、時間軸を加味していえば”瞬間風速的な全力”に過ぎなかったりもするわけです。人間は潜在能力の10%程度しか使いこなせていない、なんて言われることもありますが、あながち嘘ではないでしょう……

ここまで色々と試行錯誤しながら走ってきた一つの結論としては、ずばり(潜在)能力を高めるための訓練もいいんですが、出力できる能力を上げる訓練の方が、よっぽど重要ということです。貧脚の正当化をしようという思惑がなくはないですが……

ふだん仕事をしていると、「昨日は徹夜しちゃったよ~」などという痛々しい多忙自慢によく遭遇しますが、徹夜するほど働いていることと、全力で働いているということは別の話です。全力で働いていたら、そもそも徹夜せずに済んだでしょうし。徹夜に至るまでに、その人が髪を振り乱して、本当に全力で仕事をしていたとはどうも思えないんですよね。

そもそも、そんな人たちだって、みんな子どもの頃は、命を削っているかのように全力で遊んでいたはず。遊び疲れて力尽き眠る日々を過ごしていたんですよね。残念ながら、多くの大人は、全力の出し方をどこかで忘れてきてしまっているのではと。

出してない人もいるだろうし、出してるつもりの人もいるだろうし、出したくても出せていない人もいるだろうと思いますが、大人になるにつれて「全力」から遠くなっちゃってるのは間違いないんじゃないかと思います。なんといっても自分自身、全力で仕事してると思ってましたから。でも、走るようになって、それが全力でもなんでもなかったんだと認めざるを得ません……

<本気>と<全力>は違う

<全力>と混同しがちなことに<本気>があります。しかしながら<本気を出す>=<全力を出す>ではありません。

・<本気>はどう力を入れるか、取り組む姿勢の問題。つまり、Inputに関する指標。

・<全力>はどれだけ力を発揮できたか、パフォーマンスの問題。つまり、Outputに関する指標。


この二つは、そもそも焦点が違うのです。そして、<本気>は<全力>のための必要条件ではあっても十分条件ではありません。<本気>だからといって、いつでも<全力>を出し切れるわけではありません。


6月に走ったサロマ湖100kmウルトラマラソンはまさにこのケースで、完走する気満々、ラン仲間とも完走を誓い、ド本気で走っているのに全然走れないままDNFとなったレース。今、思い出しても不甲斐ないっす・・・

 

全力を出すには、そのための訓練をしなければいけない

残念ながら、サロマでどうしていたら全力が出せたのか、いまだにハッキリは分かりません。そこのところの仕組みは、ブラックボックスです。ただ、本気であるだけではダメだということは間違いない。

「全力を出す」ことの比喩として、「アクセル全開」なんて言うことがありますが、この表現は全力を出すことの難しさを捉えていません。車のようにアクセルを踏み込むだけで全力が出せるんなら、こんなに苦労はしないんです。

むしろ、馬に乗って、必死でムチを打ってるぐらいの距離感が正しいんじゃないでしょうか。自分ではいくら本気でムチを打っていても、馬がその通り力を発揮して走ってくれるとは限らないんです。それぐらい自分の心身は制御不能なり。

だから、全力を引き出そうと思ったら、そのための訓練が必要なのです。

“ラン大学”で学んだこと(2)

全力は、出そうと思って出せるものではない。

能力を高めるための訓練よりも、出力できる能力を上げる訓練で、全力に近づくことの方がよっぽど重要。

“ラン大学”で学んだことシリーズ(3)につづく。

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