最近、教える機会も、教わる機会も多いんですが、特に教えることって本当に難しいです。「自分の場合はこうだった」なんて経験談を語って終わっていることがよくあります。
もちろんそんな生の声も、相手にとっては価値のある情報なんでしょう。でも、もう一歩踏み込まないと「教える」ってとこまでいってないよなあと反省するきっかけになったのがこんな会話でした。
とあるコーチとの会話
あるコーチ業の人と話をしていた時のことです。
普通の人が3年かけて取り組むようなチャレンジについて、「もし半年でやろうと思った場合、どうすればいいですか?」と聞いてみました。案の定、全否定されました。「半年では無理だ」「無謀だ」「できたとしても、長い目で見ると…」云々。
そして、「基礎が大事だから、まず基礎をじっくりと…」と話は続きます。
その通りです。基礎は大事です。基礎をおろそかにしてはいけない。だから、基礎をすっ飛ばそうと言っているのではなく、どうやったら早く基礎が身に付くかを教えてほしいと言っているわけです。
ちなみにこの会話、お金を払ってパーソナルコーチングを受けているわけでもなく、ただの世間話ですので、このコーチのクライアントの方が同じことを聞いてきた時に、同じ回答をしているのかは分かりません。
自分の経験を語ることが指導ではない
このコーチは、おそらく自分も3年(おそらくはもっと長い時間を)かけて、成功してきたのでしょう。だからこそ、そのやり方に自信を持っていて、もしかすると「苦労もせずに楽して成長しようなんて、ぬるいこと言ってんじゃねえ!」なんて思ってるのかもしれません。
でも、自分が3年かけてやってきたことを、自分のクライアントが半年でできるようになったとしたら、もっと価値のあることじゃないかと思うんですよね。たしかにちょっと悔しいとは思いますが。
だけど、何も自分がやってきたことを追体験させる必要はないわけです。その凝縮したエッセンスを活用して、自分より早く成長させられることが、教育の本質なんじゃないかと思います。
じゃないと、人類は進化しませんよね。
指導者とは
翻って自分のことに置き換えてみると、たとえば仕事で後輩や新人の指導をすることになったとき、自分の経験と照らし合わせて、「最初の3年間は下積みだからがんばれ!」とか「みんなが通る道だ!」とか言ってしまっているのではないかと。
自分に3年の下積みが必要だったのであれば、後から来る人たちには、それが2年で済むように指導するのが、先を行った人の役割です。
自分が3年かけて到達したところに、2年で立たせてあげられる人。指導者って、そういうものじゃないかと思っています。