ウルトラマラソンの精神論②:諦めるなら最後の一人として諦める。

昨日は、八ヶ岳野辺山100kmウルトラマラソンを無事(体は全然無事じゃないけど)完走してきました!

一緒に参加した5人の仲間たちも、全員が初めての100kmを完走、いやーかっこよすぎます。

一人は82km地点で合流し、その後はゴールまで併走。肩を組んで一緒にゴール。その後ろを走っていた3人が制限時間ギリギリでゴールに駆け込んできたときは、涙をこらえきれず・・・そして最後の一人は惜しくも制限時間に5分届きませんでしたが、自分の脚で100km走り切りました。

それぞれがみんなリタイアの誘惑や、関門制限との闘いを乗り超えてゴールまで戻ってきたんですね。

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今回は自分にとっても、三度目のウルトラマラソン挑戦。

初めて100kmを走るメンバーをできるだけサポートしたいと思っていたんですが、恐れていた左ヒザの故障が、わずか4km地点から痛み出し、そんな余裕も全くなく、リタイアとの境界を彷徨うレース展開に・・・

これまでどれだけ辛くても使わないと決めていた痛み止め(ロキソニン)でしたが、とうとう一線を越え投入。しかも、ゴールまでに6回(笑) お守り代わりに2錠だけ持っていたんですが、途中で走っていた仲間におすそ分けしてもらいました。これがなかったら絶対に完走してなかった。(Nさん、本当にありがとうございました!)

痛み止めを使うと、その時はよくても体からのアラームを無視して酷使することになるので、使わないのが自分のルールでした。でも今回はそのルールを破ってでも、みんなで完走したかったんですよね。

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そういうわけで、初ウルトラで完走できるか分からなかった白山・白川郷100kmや、関門と闘い続けたチャレンジ富士五湖112kmと比べても、過去最高にリタイア寸前だった今回の野辺山ウルトラ。

それでも踏みとどまったのは、結局のところ、精神論です。前のエントリで書いた「関門に間に合うかどうかは、自分が判断することではない。」っていうのが、序盤からかなり苦戦を強いられる中での心の支えだったし、一緒に走っている仲間が頑張っているというのも大きな励みになりました。

でも、一方で、気合だけの精神論は嫌いです。

その精神を制御するのに効果のない、実行につながらないような気合だけの理屈は嫌いなんです。だから、「絶対にあきらめるな!」みたいなことも嫌い。世の中に絶対はない、とか反論したくなるので。

本当は、諦めちゃうこともあると思ってます。人間だし。そんなに強い人ばかりでもないから。だからこそ、

「諦めてもいい。ただし、諦めるなら最後の一人として諦める。」

という心構えで、ウルトラマラソンを走っています。こう考えるだけで、もう少しだけがんばろうと思えます。

今回のレースも、仮に誰かが自分と全く同じ体の状況で、全く同じレース展開だったとして、やっぱり諦めちゃう人もいると思うんです。そんな中でも、自分は最後の一人になるまでは諦めないという気持ちで走るのが、自分にとっては苦しい苦しいウルトラを完走するための大切な心構えになっています。

まあ、これもかなりの精神論ですけど(笑)

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野辺山はかなりの難コースでしたが、エイドのサポートや沿道の声援も温かい、いい大会でした。

野辺山駅から見た景色も素晴らしい!コースは厳しいけど景色は最高!!次のエントリから、レースを振り返りたいと思います。

140517_1_野辺山

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