“ラン大学”で学んだことシリーズ|(4)「火事場のクソ力」訓練で、全力感覚を強制的に叩き込む。

“ラン大学”で学んだことシリーズです。

2014年の年間テーマは、

     「身体を通して学び、学んだことを身体知化する」

でございました。走ることを通して、身体を通して、学んで、消化して、吸収して、自分の血肉にしようということで。

そういうわけで、タイトルの”ラン大学”は<ランニングについて学ぶ大学>ではなく、<ランニングを通して学ぶ大学>の意。走ることを通して学んだことを、順不同&不定期で書いていきます。

このシリーズを書き始めた経緯についてはこちらから。

***

“ラン大学”で学んだことシリーズ|(3)「火事場」は自分でこしらえる。 | reboot blog
の続きです。

全力を出すための訓練のステップ

繰り返しになりますが、全力を引き出すのは簡単なことではありません。そもそも、力を出し切るのは「安全圏にいたい」という生存本能と逆の方に振り切る作業ですから。

ちゃんとそのための訓練をしなければ、

① がんばる!
② できる限りがんばった結果を「全力」と錯覚

の2ステップで終わりです。そして、それは全力ではありません。

ですので、まずは全力を出さざるを得ない状況に飛び込むことが必要。そんな状況を自ら設定することが必要という話です。普通の生活をしている限り、そういう状況に遭遇することは、ほとんどありませんから。

というわけで、全力訓練のために取るべきステップは、

① 計画的に「火事場」を用意
② 用意した「火事場」に飛び込む
③ 「火事場」で「クソ力」を強制的に引き出す
④ 「クソ力」の感覚を心身に覚え込ませる
⑤ 「クソ力」感覚に至る方法を試行錯誤する

の5つです。

「全力というのはこういうことか」という感覚を自分の中に作った上で、それを頼りに色々試しながら答え合わせしていくという地道な作業です……きれいに解ける方程式じゃないですから、変数に一個ずつ数字を入れていくしかないっす。

「全力でがんばれ」という前に

子どもの頃、学校の先生が「全力でがんばれ!」とよく言っていましたが、今思えばとても空虚です。そんなかけ声で全力が出せたら苦労しないんだから。

それよりも、「あの時のことを思い出せ!」と言えるような、火事場経験を用意してあげることの方が、よっぽど大事な先生の仕事なんじゃないかと。全力を出さないとクリアできないような課題と環境とサポートを与えるべきなんじゃないかと思います。中身なんて何でもいいじゃないですか。

そういう役割を(意図してるかどうかは別にして)担っているのが部活だったりするんだろうし、ガチの体育会系の人が社会に出てからもハイパフォーマーであるのは、こういったことも関係しているんじゃないでしょうか。

大人の部活をやろう

話を戻しますが、5つのプロセスの中で一番難しいのが①「火事場」の用意です。はなから諦めてしまうレベルであってもダメ。余力を残しても成し遂げられるようなレベルでもダメ。

目標設定にまつわる議論でよく言われている「ストレッチターゲット」のもっと上、頭のネジが飛んでないと踏み込めないぐらいのところを突かないとダメです。

ただ、こういうレベルを攻めるのはリスクが伴うので、仕事や本業では難しいかもしれません。そういう時こそ大人の部活をやりましょう。大人の部活で全力の出し方を覚え、その全力を仕事にぶつけましょう。

そして、この目的で大人の部活をやるのであれば、ランは最適な対象と言えます。ランはとても「火事場」を作りやすい。ギリギリの全力をタイムで引き出してもいいし、距離で引き出してもいいし、登ったり下ったりで引き出してもいい。人それぞれ、自分に合った方法でギリギリを攻めやすいです。

ぼくが完走ギリギリレースを選んで走っているのも、全力に迫ることができそうだからだし、制限時間ギリギリだろうとDNFだろうと、失うものは何もないからです。強いていえばエントリー費とつまんないプライドぐらいのもの。体はボロボロになりますが、そもそも健康のために走っているわけじゃないですしね〜

【仮説】全力が出せたときの指標は「感謝の心」

最後に、「クソ力」を発揮している時について、一つ仮説を。

「火事場のクソ力」の時どんな状態なのかは人によって違うと思いますが、自分自身の感覚からいえば本当に全力を振り絞っている時には、ドヤ感など全くなく、なぜか感謝の気持ちしか湧いてこない状態になります。

もしかすると、自分の実力以上のものが、目に見えない力によって引き出されたかのように感じているからかもしれません。なんだか急にスピリチュアルな話でごめんなさい。

ひねくれた性格の自分ですら、白山・白川郷100kmウルトラマラソンのあとのブログなんかを見ると、感謝の気持ちが素直に綴られております…… もちろん、今振り返ってみても、嘘偽りのない感情。本当はいつでも感謝の気持ちに包まれているような人間になりたいものですが。

“ラン大学”で学んだこと(4)

「火事場のクソ力」訓練で、全力感覚を強制的に叩き込もう。
訓練の場が必要なら、大人の部活をやろう。

“ラン大学”で学んだことシリーズ|(3)「火事場」は自分でこしらえる。

“ラン大学”で学んだことシリーズです。

2014年の年間テーマは、

     「身体を通して学び、学んだことを身体知化する」

でございました。走ることを通して、身体を通して、学んで、消化して、吸収して、自分の血肉にしようということで。

そういうわけで、タイトルの”ラン大学”は<ランニングについて学ぶ大学>ではなく、<ランニングを通して学ぶ大学>の意。走ることを通して学んだことを、順不同&不定期で書いていきます。

このシリーズを書き始めた経緯についてはこちらから。

 

***

“ラン大学”で学んだことシリーズ|(2)「出そうと思えば、いつでも全力が出せる」というのは大きな勘違い。 | reboot blog

の続きです。

全力を出すための訓練


自分の全力を引き出すのは、自分で思っている以上に難しい。だから、そのための訓練をしなければいけません。わざわざそのための訓練をしなければいけないんです。

「じゃ、訓練って何やればいいの?」という質問に答えるだけの知見はまだないんですが、今のところ有効だと思われる方法が一つだけあります。それは全力を出さざるを得ない状況に身を投じること

そもそも、全力が出せているかどうかなんて、本人以外に評価のしようがないものだから、人から教わることが難しい分野なのかも。この点については引き続き研究しますが、今のところの結論はこれです。

しかし、この方法は実践するには多少の勇気が必要でしょう。だから、あながち間違いではないと思える程度の証拠を提示します。

証拠①:「火事場のクソ力」


Image(11)

証拠ってこれかよ……

ご覧の通り、キン肉マン(下の方です。黒い顔の人に超強い必殺技かけられて脱出しようとしているところ。念のため)は窮地に陥ったときに、「火事場のクソ力」という、通常時をはるかに超えるパワーを発揮。

ポイントは、いつでもこの力が発揮できるわけではないということ。そして、他の人のエネルギーを注入されたとか、すごい補給食を摂取したとか、そういう外部のエネルギーに頼っているのではなく、自分の中から湧いてくるエネルギーであるということです。

アシュラマンとミート君もそれぞれクソ力を発揮していたので、キン肉マンにしか使えない力というわけではないと思われます。

(話が全く分からないという方は、「火事場のクソ力」へ)

 

証拠物件②:「クリリンのことか」


Image(10)

世代がばれる……

ナメック星での最終決戦において超サイヤ人として覚醒した悟空は、親友であるクリリンを殺したことを匂わすフリーザの挑発に、さらに怒りを爆発。

ポイントは、その後の修行によりこの状態を常に保ち続け、最大限の力を発揮できるようにしたことです。一回限りだと、クリリンが何人いても足りないですから。でも、最初はこういう状況に置かれることが必要。

(話が全く分からないという方は、「クリリンのことか」へ)

 

証拠③:白山・白川郷100kmウルトラマラソンの時の自分

最後に、一般人の証拠として自分自身の経験を。約一年前の9月29日、初めてのウルトラマラソンである第1回白山・白川郷100kmウルトラマラソンを完走しました。

我ながら、なかなか思い切りのいい挑戦ではあったものの、ウルトラマラソンに対する認識が甘く練習が全く足りてませんでした。走る前に調べた情報によると、100km完走のためには、

・月間走行距離は400〜500km走っておくべき

・最低でも直近の3ケ月で毎月月間200kmは走っておくべき

・最低でも一回は50km走をやっておくべき

等々出てくるんですが、実態は、

・月間走行距離は100〜150km

・直前の8月に唯一200kmを一度だけ超える

・練習でやったのは30km走まで

と、走力的にはかなり厳しい仕上がりだったわけです。

しかし、100km&累積標高2530mというチャレンジングな舞台の上に、「いってらっしゃい!」という往路の応援と、「おかえりなさい!」という復路の応援と、「最後までがんばりましょう!」というランナー同士の励ましと、ラン仲間の心の支えが乗っかって、実力以上の未体験ゾーンに突入し、どうにかこうにか完走することができました。どれか一つ欠けても無理だったでしょう。

「火事場」は自分でこしらえる

全く同じ去年の9月29日に、普段練習で走っている多摩川で「同じ力を発揮せよ」と言われても到底不可能でしょう。応援も励ましも心の支えもないし。クリリンとは別に仲良くないし。

普通の生活をしている限り、「火事場のクソ力!!!!!」とか「クリリンのことかーーーっ!!!!!」と叫ばざるを得ない状況に巻き込まれることは稀です。だから、(自分が思っている)実力を超える力がないと達成できそうもないような状況を、自分でこしらえ、自らそこに飛び込まないとといけないということです。

そうしないと、全力を出す機会など、永遠にやってきませんから。すべてはまず、そこからです。

“ラン大学”で学んだこと(3)

「火事場」を自分でこしらえる。

そうしないと、全力を出す機会など永遠にやってこない。


“ラン大学”で学んだことシリーズ(4)につづく。

"ラン大学"で学んだことシリーズ|(2)「出そうと思えば、いつでも全力が出せる」というのは大きな勘違い。

“ラン大学”で学んだことシリーズです。

2014年の年間テーマは、

     「身体を通して学び、学んだことを身体知化する」

でございました。走ることを通して、身体を通して、学んで、消化して、吸収して、自分の血肉にしようということで。

そういうわけで、タイトルの”ラン大学”は<ランニングについて学ぶ大学>ではなく、<ランニングを通して学ぶ大学>の意。走ることを通して学んだことを、順不同&不定期で書いていきます。

このシリーズを書き始めた経緯についてはこちらから。

***

全力なんて、出やしない

ぼくも、つい最近までそう思ってたんですが、「出そうと思えば、いつでも全力が出せる」というのは大きな勘違いです。

何事においても全力なんて簡単に出せるもんじゃないです。そもそも出そうと思って出てくる力なんて、全力でもなんでもない。全力はもっとずっと向こう側にあるものです。

自分の力なのに引き出すのが難しい。自分のことにも関わらず、自分が思っているよりずっと難しい。出せて当たり前というものではないからこそ、鏑木選手や相馬選手のような、トレイルランのエリート選手がわざわざ「全力を尽くす」ということについて言及しているのだと思います。一流のアスリートですら、本番で実力を発揮できないことも多いのに、ましてや全力を出し切るなんて簡単なわけがないんです。

 

大人になると、全力を出さなくなるし出せなくなる

そもそも大人になると、全力を出すことがあまりありません。「ちょっと余裕かましてるぐらいの方がカッコいい」なんて思ってたりはしないでしょうか。

「余裕なんてないよ」「全力でやってるよ」と本人が思っていても、脳が全力だと思い込ませた”安全圏における全力”に過ぎなかったり、時間軸を加味していえば”瞬間風速的な全力”に過ぎなかったりもするわけです。人間は潜在能力の10%程度しか使いこなせていない、なんて言われることもありますが、あながち嘘ではないでしょう……

ここまで色々と試行錯誤しながら走ってきた一つの結論としては、ずばり(潜在)能力を高めるための訓練もいいんですが、出力できる能力を上げる訓練の方が、よっぽど重要ということです。貧脚の正当化をしようという思惑がなくはないですが……

ふだん仕事をしていると、「昨日は徹夜しちゃったよ~」などという痛々しい多忙自慢によく遭遇しますが、徹夜するほど働いていることと、全力で働いているということは別の話です。全力で働いていたら、そもそも徹夜せずに済んだでしょうし。徹夜に至るまでに、その人が髪を振り乱して、本当に全力で仕事をしていたとはどうも思えないんですよね。

そもそも、そんな人たちだって、みんな子どもの頃は、命を削っているかのように全力で遊んでいたはず。遊び疲れて力尽き眠る日々を過ごしていたんですよね。残念ながら、多くの大人は、全力の出し方をどこかで忘れてきてしまっているのではと。

出してない人もいるだろうし、出してるつもりの人もいるだろうし、出したくても出せていない人もいるだろうと思いますが、大人になるにつれて「全力」から遠くなっちゃってるのは間違いないんじゃないかと思います。なんといっても自分自身、全力で仕事してると思ってましたから。でも、走るようになって、それが全力でもなんでもなかったんだと認めざるを得ません……

<本気>と<全力>は違う

<全力>と混同しがちなことに<本気>があります。しかしながら<本気を出す>=<全力を出す>ではありません。

・<本気>はどう力を入れるか、取り組む姿勢の問題。つまり、Inputに関する指標。

・<全力>はどれだけ力を発揮できたか、パフォーマンスの問題。つまり、Outputに関する指標。


この二つは、そもそも焦点が違うのです。そして、<本気>は<全力>のための必要条件ではあっても十分条件ではありません。<本気>だからといって、いつでも<全力>を出し切れるわけではありません。


6月に走ったサロマ湖100kmウルトラマラソンはまさにこのケースで、完走する気満々、ラン仲間とも完走を誓い、ド本気で走っているのに全然走れないままDNFとなったレース。今、思い出しても不甲斐ないっす・・・

 

全力を出すには、そのための訓練をしなければいけない

残念ながら、サロマでどうしていたら全力が出せたのか、いまだにハッキリは分かりません。そこのところの仕組みは、ブラックボックスです。ただ、本気であるだけではダメだということは間違いない。

「全力を出す」ことの比喩として、「アクセル全開」なんて言うことがありますが、この表現は全力を出すことの難しさを捉えていません。車のようにアクセルを踏み込むだけで全力が出せるんなら、こんなに苦労はしないんです。

むしろ、馬に乗って、必死でムチを打ってるぐらいの距離感が正しいんじゃないでしょうか。自分ではいくら本気でムチを打っていても、馬がその通り力を発揮して走ってくれるとは限らないんです。それぐらい自分の心身は制御不能なり。

だから、全力を引き出そうと思ったら、そのための訓練が必要なのです。

“ラン大学”で学んだこと(2)

全力は、出そうと思って出せるものではない。

能力を高めるための訓練よりも、出力できる能力を上げる訓練で、全力に近づくことの方がよっぽど重要。

“ラン大学”で学んだことシリーズ(3)につづく。

“ラン大学”で学んだことシリーズ|(1)自分でそうと決めれば、それは学校になる。

10月に入り、2014年も残すところ3ヶ月となりました。

「今年もあっという間だった」と言いたいところですが、振り返ってみると全くそんなことはなく、gkbr((((;゜Д゜))) とwktk+(0゚・∀・)+に満ちた、長い長い一年でした・・・まだ終わってないですが。

そんな今年の、最も大きな変化の一つは、インプットの方法を変えたこと。

例年だと、その時々の興味・関心に応じて、仕事の傍ら学校に通ったり、セミナーに行ったり、専門家の話を聞きに行ったり、その分野の本を集中的に読んだりといったことをするわけですが、今年はそういったことをほとんどやってません。読書量も大幅減で、今年に入ってからは10冊も読んでないんじゃないかと・・・(知識労働者の端くれとして、これはさすがに反省しています)

それでは、何がインプットとして置き換わったのかというと、ずばり「走ること」。

2014年の年間テーマは、

「身体を通して学び、学んだことを身体知化する」

でございました。小難しく書いてますが、要は走ることを通して、身体を通して、何かを学んで、消化して、吸収して、自分の血肉にしようってことです。

自分としては、ビジネススクールに通うのと同じ感覚で走ってきました。自分で仮想の”ラン大学”なるものを拵えてしまって、走ることを教材にこの一年を過ごしてきたという感じ。だから、”ラン大学”と言っても<ランニングについて学ぶ大学>ではなく、<ランニングを通して学ぶ大学>という意味になります。

2014年度”ラン大学”カリキュラム

そんな仮想”ラン大学”ですが、勝手にやってるだけなので、カリキュラムも当然、自分で用意です。とにかく実践あるのみ、年間通じて絶え間なくチャレンジが続くようにということで…

●毎月、ウルトラレースを走る!
・「ウルトラレース」の定義は、100km以上の距離 and/or 制限時間14時間以上。
・ロード/トレイル/トライアスロンは問わず。
・トライアスロンはアイアンマン・ディスタンスのみOK。
・サブ指標として、レースで年間1000km。

と決めたんですが、もはや勢いだけ…まあ、学校に通うぐらいのつもりとなれば、これぐらいにはなりますよね!?

トライアスロンはバイクがかなり距離を稼いでくれるので、本当はちょっとずるいんですが、スイムはつらい割に距離が稼げないし、今年始めるド素人なのでOKでしょう!

ランの中期目標がUTMF/UTMBの完走なので、160kmを走るための準備として2014年は100kmという距離に慣れることを最優先。以前のフルマラソンぐらいの感覚で、100kmウルトラマラソンを走れる状態に持っていくのが、今年のひとまずのゴールでした。

2014年度”ラン大学”カリキュラム履修状況

そういう方針で年間計画を立てたところ、結果的には「8ヵ月連続ウルトラチャレンジ」に。これまでのところ、

・4月: チャレンジ富士五湖112km ⇒完走
・5月: 野辺山100kmウルトラマラソン ⇒完走
・6月: サロマ湖100kmウルトラマラソン ⇒DNF
・7月: 大雪山ウルトラトレイル110km ⇒完走
・8月: IRONMAN JAPAN 北海道(トライアスロン226km) ⇒完走
・9月: 信越五岳トレイルランニングレース110km ⇒完走
・10月: 日本山岳耐久レース(ハセツネ) ⇒これから
・11月: HK168 ⇒これから

という状況。本当は、3月にIzu Trail Journey 72kmを走り、12月にも海外のウルトラレースを走って10ヶ月企画にしようと思っていたんですが、3月は大雪の影響で中止、12月はエントリー満員御礼ということで8ヶ月企画となりました。

やってみないと何が起こるか分からない、という見切り発車ではあったものの、ここまでは何とか食らいついてます。4月の富士五湖は制限時間2分45秒前ゴールだったし、5月の野辺山は開始4kmでロキソニン投入、絶不調の6月サロマ湖はDNFなので、下手したら全敗も十分あり得ましたね…

“ラン大学”で学んだことシリーズ

あと2本、重いチャレンジを残しているものの、すでに完走率が6割を超えたので「可」での修了ぐらいは見えてきました。というわけで、そろそろ卒論代わりにこれまで走りながら得てきたことを整理していこうというのが、この「”ラン大学”で学んだこと」シリーズです。

この半年ちょっと、毎月毎月レースに向けて予習して、レースを走って、復習して、ということを繰り返してきたわけですが、まず思うのは、自分でその気になってカリキュラムを組んじゃえば、本当に何だって学校になっちゃうもんですねってことです。

今年のカリキュラムは、おそらくビジネススクールに負けず劣らず厳しいものでしたが、

・「走る(漕ぐ・泳ぐ)」という身体動作を通して
・練習と準備とレースに向けたスケジュール管理を通して
・レース中の試練・死闘・葛藤・試行錯誤を通して

色んな側面から、人生に役立ちそうなこと、仕事に役立ちそうなこと、たくさんのことを学びました。それこそ、目的も中途半端なまま学校に通ったり、セミナーに行ったりして、なんか学んだ気になってるより、よっぽど勉強になったんじゃないかと。「人生で大事なことは、すべて走ることから教わった」とか、思わず口走ってしまいそう。

ということで、

ラン大学を通して学んだこと(1)
自分でそうと決めれば、何だってそれは学校になる。

書いてるだけで何だか恥ずかしくなってきますが、この一年の投資回収はしっかりやらねばということで(笑) 順不同・不定期ではありますが、このシリーズ、ぼちぼち書いていこうと思います。