オフィス・書斎・カフェよりもっと「考える」のに最適な環境って?

「考える」という作業は、あらゆる人にとって最も重要な作業の一つです。

なんて改めて言うほどのことでもないんですが、企画することを仕事にしているぼくにとっては、考える時間を量的にどれだけ確保できるか、その時間を質的にどれだけ高めることができるかというのは死活問題です。

ところが、(不毛な)資料作成や(不毛な)会議や(不毛な)他者の説得なんかで、考えるための時間は意外と多くないというのが現実で、だからこそいかに質を高めるかということが大切になってきます。

社会人を10年以上やってきて、ずっとこのことに悩まされてきて、それがピークに達したこの半年、一つの結論に至りました。思考の質を上げたければ、机の上でうんうん唸ってないで、「現場へGO!!!」だと。

「考えること」の質を上げるために最も重要なこと

先週の話ですが、アメリカに出張に行ってました。まさにぼくにとっての「現場」、お客さんとダイレクトに(正確に言うと、マジックミラー越しに)触れ合うために。いくら論理的に正しそうに見えていた議論やその結果の仮説も、目の前のお客さんが繰り広げるFactには到底かないません。そして、お客さんと直に触れることから得られる情報量とインスピレーションは、いつだって圧倒的。

たしかに質を上げるために大切なのは環境です。いつ、どんなところでどんな風に考える作業に入るのかは生産性に大きく影響します。本当は、いつでもどこでも高品質思考ができるのが理想ですが、いつでもどこでも低品質思考というのが実態。

ぼくも最適な場所をずっと模索してきましたし、フェイバリットな場所の変遷もあり、それは休日のオフィスの時もあれば、行きつけのカフェだったこともありました。存在しない架空の書斎に憧れたことも。

とりとめなく思索を巡らすとか、想像の世界に没入するといったタイプの思考であれば、静かで集中できる、たとえば休日のオフィスやカフェや書斎のような環境がぴったりなのかもしれません。

が、自分のように企画することを仕事とし、考えるべきテーマや対象が割と明確に決まっているような場合、そもそもそういうことではありませんでした。繰り返しますが、考える作業にもっとも適している環境、それは断然「現場」です。

現場とは、考えるべきテーマや対象が目の前にあり、五感をもってそれを体感できるところ。具体的な場所でなくても、そういったインプットが得られる状況であれば場所はどこだっていいんだと思いますが。

「三現主義」とはよく言われますが

ものづくり、特に品質改善や問題解決において、「三現主義」ということがよく言われます。三つの「現」とは、現場・現物・現実のこと。

そう、「現場」が大事なんて、社会人になった時から言われていたことでした。しかし、実践するのは意外と難しいのです。おそらく、多くの人たちにとって「考えること」=「お勉強」で、黙って静かに机に向かうものと刷り込まれているからではないでしょうか。大人にとっての「考える」、本当の意味での「考える」はそうではないでしょ、と気付くのに10年以上を費やしてしまいました。

 

コピーライターがコピーを書く方法

ちょっと話は脱線しますが、コピーライターがコピーを書く方法の分類の一つとして、

・手で書く

・胸で書く

・足で書く

というのがあるらしいです。

「手で書く」というのは本数。書く量です。量が質を担保するという考え方。「胸で書く」というのは、ハートで書くということ。つまり相手の感情を想像し、共感しながら書くということです。最後に「足で書く」、これは取材です。コピーの対象となる事物の現場に赴いて、実際に現物に触れてみて初めて言葉にリアリティが生まれます。

コピーを書く作業においても同じなんですね。3つの「現」を知り、体感することで、机上では書けないリアリティのあるコピーを生むのでしょう。アウトプットの形こそ違うものの、コピーを書くことも企画することも、知的作業としてはほとんど同じもの。やっぱ大事なんですね、現場。

<机の上で考える>より<現場に行って考える>のはもちろん。

<現場に行って考える>より<考えるために現場に行く>ぐらいの姿勢がいいんじゃないでしょうかね。

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こういうことを言うと必ず、「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!!!」 とか言いいながら腰を折ってくる人がいるんですが、こんな青臭い台詞にぽかーんな新世代も会社に存在するようになって、それはそれで焦りを感じています。

ランでは学べないけど、仕事においてとっても大事なこと。

『”ラン大学”で学んだことシリーズ』というエントリを書いてるぐらい、仕事や人生における指針をランからたくさん学ばせてもらっているんですが(このシリーズ、最近書いてませんが、草稿はたくさんあるので、ちょくちょく書いていこうと思います……)、唯一と言っていいほど、ランと仕事では真逆であると思っていることがあります。

それは、「諦める」ことについての姿勢とでもいいましょうか。

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ランにおいては、特にレースの場合は、関門に引っかかってDNFを余儀なくされることはあっても、自分からレースを止めるということはありません。つまり、基本的には絶対に諦めません(今週末のレースはちょっと不安)。

ところが仕事においては、無理だと思ったら、さっさと諦めてギブアップ宣言することが最良の策だと思っています。仕事は、多くの場合、ランのような個人戦ではなくチームの総力戦です。ランのような単一種目ではなく異種格闘技戦です。自分一人でがんばるというのは、頑張り方のほんの一つでしかありませんし、バスに乗ろうとタクシーを使おうと、あらゆる手を使ってゴールに辿りつきさえすればいいのです。

逆に最低の策は、いつまでも自分一人でできもしない仕事を抱え込み、「これはやばい」と気付いた周りの人たちに、手遅れになってタオルを投入されること。もしかしたら、まだ余力を残したチームメイトが待機しているかもしれないのに、その力を活かす機会を奪うことにもなります。

だからこそ、昨日のエントリでも書いたように、人に頼ったり、助けを求めたり、ごめんなさいしたりして、さっさと白旗を上げ、他の方法で課題が解決するように軌道修正を図っているわけです。

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仕事においては、自己申告で”DNF”する潔さが大切。仕事における”DNF”の数は、決して不名誉なことではありません。これだけは、ランからは学べないことなんですよねえ。

本当に忙しいと、自分にしかできない仕事しかしなくなりますね。

引き続き、やるべきこととやりたいことがすごい勢いで畳み掛けてくる日々を送っています。

とうとう先日は、

「このタイミングで連休などいらん。欲しいのはワークデイだ!」

と社畜まがいの発言がつい口からこぼれ、実際にこの3連休のうち2/3を会社で過ごし、それを聞いた友人から「普通の週末より休み短いじゃん」と言われるまでその事実に気付きませんでした。たしかにね。

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しかし、そんなワーカホリックな生活でもいいことはあって、それはごくごく自然に、本当に自分にしかできない仕事しかしなくなるということです。

これでもそれなりに時間管理とか仕事管理とか、一般にビジネススキルと言われるようなことは習得してきたと思いますし、トライアスロンやらトレイルランやらにかなりの時間を割かれているこの半年は、そのスキルに磨きがかかっていたはず。

それでも全く太刀打ちできない現状では、期待されているアウトプットのコアのコアのコアの部分以外はすべて、人にお願いするか、ギブアップして助けを求めるか、ごめんなさいして返上するかの三択で処理しています。その代わり、コアのコアのコアの部分は、絶対に人には譲らず、自分でやっています。だって、そこは自分にしかできないんですから。

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そういうわけで一時的にこのブログの更新頻度も落とさざると得ない非常事態ではあるんですが、一歩引いて見てみると、本来の仕事のあり方はこうあるべきなのではとも思います。

いつだって自分にしかできない仕事にフォーカスし、自分にしか出せないアウトプットを行うのが、最も貢献できる方法なんですよね。

まあ、これだけ忙しくなっているのは、自分にとって初めての100マイルトレイルランレースが今週末に控えていることもあります。こればっかりは、人にお願いすることも、助けを求めることも、ごめんなさいすることもできないので、もちろん自分で走ります(笑) ギブアップはするかもしれませんけど……

戦略的手土産のすすめ②:親しくない相手にこそ手土産を渡そう。

昨日の続きです。
戦略的手土産のすすめ①:手土産のいいところ。
http://joglog121123.blog.fc2.com/blog-entry-408.html
手土産はニュートラルな関係のうちに
手土産というと、親しい相手に渡すものと考えてしまいがちです。しかし、手土産のいいところを考えてみると、むしろ親しくない(けどもっと親しくなりたい)相手にこそ使えるものです。
親しい相手とは、わざわざ探さなくても話題はいくらでもあるでしょうし、普段の付き合いから好意も伝わっているはずです(親しいからこそ、というのはあると思いますが別のトピックですので)。「親しくないのに、渡すのはちょっと・・・」と躊躇してしまうと、手土産本来の実力を発揮することができなくなってしまいます。
手土産の力を借りて、相手との関係が”+”なのか”−”なのか確定してしまう前、ニュートラルな状態の内に自分から”+”の方に倒してしまうということです。実際、私が手土産作戦で仲良くなった社長からは、その後も親交を深め、担当を離れるときに逆にプレゼントをいただくほどの関係になりました。
手土産は、有形資産を無形資産に変える手段

たかが手土産のことでこれだけ語るのには、意味があります。それは、手土産がいいお金の使い方であり、有形資産を無形資産に変える好例の一つだと思っているからです。
ここで言う有形資産はお金のこと。無形資産は、中長期に渡る(かもしれない)人間関係。あまりいい言い方ではありませんが、お金の力を借りることで、かなり確実に今後につながりうる人間関係のきっかけを得られるんだから、これを使わない手はないと思っています。
最近評判がよかったものをご紹介
花畑牧場の十勝カタラーナ (1050円)
ちょっとしたパーティーに持って行くのに手頃です。大人にも子どもにも受けがいいです。東京近郊にはたまプラーザにしか店舗がないですが、催事でちょくちょく出店しているようです。通販でも購入可能。

GODIVAのカップアイスクリーム(420円/個)
高級アイス感があるけど、ハーゲンダッツほどありきたりでもなく、「ゴディバってアイスもあるんだ!」という反応が期待できます。冬でもけっこう喜ばれます。
IcecreamCup_520px.jpg
やっぱりスイーツ系が人気です。自分では買わないようなちょっとした贅沢が好評みたいですね。
ちなみに、既に親しくさせていただいていて「手土産もらってないんですけど・・・」という方、けちったわけではなく、普通に仲良くなれそうだと思ったからですよ!

戦略的手土産のすすめ①:手土産のいいところ。

突然ですが、手土産っていいですよね。もう少し仲良くなりたい!と思う人とか集まりがある場合には、とても効果的です。年末年始に活躍する機会が多かった手土産についてまとめてみたいと思います。
営業時代に手土産の効果を実感
思い起こせば、手土産作戦は大阪でルート営業をやっていた頃に初めて効果を実感しました。新人だった私は、最初は担当店の社長・店長に全く相手にしてもらえませんでした。「うちの店にこんな新人あてがいよって、なめとんのか(怒)」という心の声が聞こえてきそうな対応でしたが、まあ最初はそんなもんですよね。大阪に限らずどこでもそうだと思いますが、頑固な親父さんというのは、仲良くなればとことんよくしてくれますが、それまで行くのがとにかく大変です。
仕事はしっかりやるとか足繁く通うとか、基本的なことは当然きっちりやった上でのことですが、もう一歩踏み込みたいときに意外に効果を発揮するのが手土産作戦でした。
それも社長のために持参するのでなく、社長の奥さんに持って行くのがポイント。まずは奥さんと仲良くなって、奥さんから社長に「あの子、なかなかええ子やで」とかなんとか言ってもらうと、話ぐらいは聞いてくれるようになるものです。
それからというもの、もう一歩踏み込むべしという場合には、手土産を活用しています。
手土産のいいところ①:手土産をきっかけに話ができる

こう書くと、モノで釣っているようで姑息な感じもしますが・・・冷静に考えても手土産はなかなか優れものです。
親しくない関係で一番困るのは話題ですよね。手土産のうんちくの一つでも語れば、会話のきっかけにはなります。どこかへ行ったときのお土産であれば、自然に旅先の話もできます。
旅行や出張はネタになりやすいですが、親しくない間柄だとわざわざ自分から切り出すのも難しいということありませんか?海外だとなんか自慢してるみたいですし、相手がお仕事しているときの旅行だとなおさらですよね。それをお土産を渡すという形をとって、自分の代わりに話を切り出してもらうことができます。
手土産のいいところ②:相手への関心を伝えることができる
それから、贈り物全般に言えることですが、直接会っている時間以外にも相手のことを考えているというメッセージになります。手紙とかプレゼントとなると、重いと感じさせてしまうこともあるでしょうが、ちょっとしたお土産であれば、「たまたま目にとまったので」とか、「自分用に買うついでに」といった言い訳もしやすいはず。
手土産のいいところ③:そもそももらって悪い気はしないはず

そもそもですが、よほど迷惑なものでもない限り、何かをもらって嫌な気分になることは少ないでしょう。多少なりとも好感を持ってもらえる確率が高いです。そのためにも後に残らないものの方がいいですが。
こうして改めて整理してみると、手土産というのは極めてコストパフォーマンスの高いコミュニケーションだということが分かります。コストといっても、せいぜい数百円から数千円の範囲でしょうから。そこから始まる長いお尽き合いのことを考えれば安い投資と考えられるのでは。明日に続きます!