インプット量と アウトプット量が近い方がいい仕事。遠い方がいい仕事。

今日は、半日ほどこもって、今後数十年の社会変化に関する文献に目を通していました。一口に「社会変化」と言っても、トピックがかなり広い範囲に渡るので、目を通すだけでも頭から湯気が出てます(汗)
自分の専門外の分野は、読んでるだけでも疲れてきますね。世界の食糧問題とか、遺伝子技術発達の影響範囲とか、最先端脳科学の展望など、もうお腹いっぱいです…
普通に生活していると、こういった情報に触れることはあまりないので、たまに意識的にインプット領域を拡げるということをやっています。
通常の仕事では、専門領域に特化しているので、情報収集もかなり効率的です。つまり、インプットする量と、そこから出てくるアウトプットの量がかなりイコールに近いです。自分のフィルターを通して足したり引いたりしているし、単純に比較することはできませんが、必要な情報にダイレクトにアクセスしている感覚です。
それに対して、今日やっていたようなインプットは、その量の割には直接アウトプットにつながることはありません。むしろ、ほとんどが役に立つか分かりません。だから、かなり非効率。それなのになぜこんなことをやっているかと言うと、アウトプットにはある程度、情報の母集団が必要だと思っているからです。
統計データが信頼性を持つためには、ある程度のサンプル数が必要です。それと同じように、どれだけの情報量を背景にしているかがアウトプットの質を左右することがあるということです。
通常の仕事であれば、効率面からインプット量と アウトプット量は近い方がいいでしょう。しかし、情報処理効率よりも、母集団を大きくすることでアウトプットの質を高めた方がいい仕事もあるということですね。目指すアウトプットによって使い分けられるようにしたいものです。

考え始める前に、この質問を投げかけよう!

何か解かなければいけない問いが目の前にあった時、どんな風に取りかかりますか?

せっかちな人であれば、最初から答えになりそうなものを片っ端から並べ始めるかもしれません。もう少し冷静な人であれば、どんな切り口で攻めれば答えが見つかるか、一歩引いて考え始めるかもしれません。または、より俯瞰して物事を見る習慣のある人であれば、答えを導き出すまでのプロセスデザインから手をつけるかもしれませんね。

どのやり方が優れていて、どのやり方が劣っているということはありません。

人それぞれ、自分の思考法にあった方法で答えを導き出せばいいんですが、その前に、すべての人に共通して思い出してほしい質問があります。

それは、

「その問いに対して、自分はどの立場で臨むのか?」

ということです。

“立場”というのは、たとえばこんな直線があったとして、自分はこの直線上のどの位置に立っているのか?または、どこに立とうと思っているのか?ということです。

Conservative(保守的) ———Daring(破天荒)———Revolutionary(革新的)

答えを並べ始める人も、切り口から探す人も、プロセスから考える人であっても、保守的な態度で向き合うのか、革新的な答えを見つけ出そうとするのかでは、出てくるアイデアがまるで異なるでしょう。

人は普段、自分が考え始める前に、自分の思考が保守的なのか、それとも革新的な志向があるのか意識することはありません。

あえてこの問いを投げかけることの意味は、自分のいつもの思考パターンをちゃんと認めて、その上でこの問いにはどう向き合おうとしているのか、一歩立ち止まって考える間を取ることです。

実はこの質問、とある世界的に有名なDesign Firmが使っている質問で、先日直接話を聞く機会があり教えてもらったものです。

考え始める前に、「今日は革新的に考えよう!」と思って入った方が、ずっと自由な発想ができるでしょうし、グループで行うのであれば、革新派のメンバーと保守派のメンバーに振り分けて取り組んでみてもいいかもしれません。

とにかく、自分がどういう思考モードにあるのか、どういう思考モードで取り組もうとしているのか、自分で認識していることは、答えを出そうとする時にも切り口を探す場合でも、プロセスデザインからやる場合であっても大きな違いを生むことになります。

何かを考え始める前には、自分がどの立場で臨もうとしているのか、ぜひ一度問いかけてみてください!

走ることで学ぶこと:「設定した基準」に固執する。

前エントリの続きです。
アナロジーとしてのランニング。
http://joglog121123.blog.fc2.com/blog-entry-434.html

私がことあるごとに読み返す村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』にこんな一節があります。
小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ているという文脈で、

 それよりは、自分自身の設定した基準をクリアできるかできないかー
 そちらの方により関心が向く。そういう意味で長距離走は、
 僕のメンタリティにぴたりとはまるスポーツだった。
 (村上春樹 『走ることについて語るときに僕の語ること』)

 書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが
 何よりも大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。
 (村上春樹 『走ることについて語るときに僕の語ること』)

と言っています。<到達すべき基準>が大切になってくるという点で、小説を書くことと走ることはアナロジカルな関係にあるということです。これと同じことを、私は考え(続け)ることと走ることの間に感じています。
「自分自身の設定した基準」に達しない場合、自分に「NO」を突きつけられるかどうか。そこで投了せずに、粘れるかどうか。そういうことを走ることから、学ぶことができるということです。
ただし、これはとてもとんでもなく難しいこと。村上春樹も同じ本の中でこう言っています。

 「走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら
  大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。」
 (村上春樹 『走ることについて語るときに僕の語ること』)

うーん、まったくその通り。走っていて、なぜ走っているのか分からなくなってくることも、しばしばあります(笑) でも、これは走ることに限らず、ほとんどのことに共通することです。いつだって続けるための理由より、やめるための理由の方が多いのです。
限界が来たから止めるのも、設定した基準に達したから止めるのも、どちらも自分のタイミングです。選択の余地があるからこそ、判断に迷うのであり、走ることを通じて自分で設定した基準に固執することを、身につけるべきことだと思っているのです。

アナロジーとしてのランニング。

私がランニングをしているのは、基本的には「継続」することがどういうことなのかを多く学べるからです(もちろん、いつもこんな小難しいこと考えて走ってるわけではありません。楽しいから走ってるだけなんですが、よくよく振り返ってみると、ということで)。
走るとき、特にフルマラソン以上のレースの場合、自分の限界に素直に対処するとすれば、42kmを走り通すことはまずできません。これ以上、身体を痛めてはいけないという脳からの指令として、「もう十分がんばったんだから、止めていいよ」という感情が、途中で必ず浮かんでくるからです。
しかし、フルマラソンにおいては、あくまでゴールは42kmですし、レースだからこそ手前で訪れる自分の限界を超えて、がんばれるわけです。
前のエントリで、「考えることは簡単だけど、考え続けることは難しい」ということを書きましたが、
考えることは簡単だけど、考え続けることは難しい。
http://joglog121123.blog.fc2.com/blog-entry-433.html

止めるタイミングは、<自分の限界>や<自己満足>という自分都合のものではなく、<到達すべき基準>というものを、自分とは切り離した上で設定することが必要ではないかと思っています。
ここで言う<到達すべき基準>というのは、フルマラソンで例えて言えば42km。そして同じ喩えで言えば、自分の限界で打ち切りたくなるタイミングは、先日の館山マラソンであれば、道半ばにして右脚が使えなくなった27km地点あたりかもしれません。
考え続けることを支えてくれるのは、まさにこの「走ること」のアナロジーです。マラソンであれば、27kmなんて中途半端のところでリタイアすることはありません。同じように、「もう十分考えた」と感じてしまったとしても、今はまだ27km地点に過ぎないんだと考えることで、マラソンと同じように、もう少し踏ん張って考え続けることができるのです。
明日に続けます。

考えることは簡単だけど、考え続けることは難しい。

考えることは簡単だけど、考え続けることは難しい。
そう思うことがよくあります。仕事でもプライベートでも、重い課題と向き合わなければいけないとき、さらにどこかのタイミングで決断しなければいけない時などは特にそうです。
<考え続ける>ことは難しい
<考える>と<考え続ける>の間には、当たり前ですが、継続するかどうかのちがいがあります。
継続して考える場合には、それだけの集中力が必要ですし、断続的に考える場合でも、何度もその状態まで自分をもっていけるように自己管理する必要があります。また、どちらの場合でも、それだけの時間や環境を確保するマネジメント能力も求められます。
しかし、本当の難しさは、どこまで考え続けるかを、自分で決めなければいけないところにあるのではと思っています。
止めるための基準

多くの問題や課題は、考え続けても明確な答えがあるかどうかも分かりませんし、終わりというものがはっきりしません。(明確な答えが出るような問題は、多少時間や工数がかかったとしても、答えが存在するというだけで易しい問題と言えるのではないでしょうか)
だから、いつ止めるかは自分で判断する必要があります。
その時に、一番ありがちなのが、「もう十分考えただろう」と、自己満足を感じて止めてしまうことです。あるいは、「もうこれ以上は考えられない」と、自分で限界の線を引いてしまうことです。
自分とは切り離して到達すべき基準を設定する
自己満足や(自分の思う)自分の限界を基準にしてしまうと、価値あるアウトプットのだいぶ手前でストップがかかってしまいます。「もう無理だ」と思ったその向こうに、ようやく何かが見つかるということが往々にしてあります。
“産みの苦しみ”とよく言いますが、新しいものを生み出すのは、基本的に苦しいものです。その苦しさを許容せずに限界を迎えてしまうと、新しいものは生まれません。これはアイデアや企画を考えることに限った話ではなく、新規事業であっても、芸術作品であっても、何にでも言えることです。
どこで打ち止めとするかの基準は、<自分の限界>や<自己満足>という自分都合のものではなく、<到達すべき基準>というものを、自分とは切り離した上で設定できるかどうかが重要になってくるのだと思っています。

ANAの航空会社コード「NH」って何の略だか知ってました??

最近はだいぶ少なくなりましたが、仕事で海外にいたころは最低でも月に1回、多いときは3回4回と出張していた時期があります。月によっては、自宅にいる日数より出張先で滞在している日数の方が多いほどでした。
そういうわけで、飛行機にはよく乗っていたんですが、そのときから不思議に思っていたのがANA(All Nippon Airways 全日本空輸)の航空会社コードです。
航空会社コードは、便名などにも使われている航空会社を表す2桁のコードのことで、たとえば、
・JAL(Japan Airlines 日本航空)であれば「JL」
・アメリカのユナイテッド航空(United Airlines)であれば「UA」
・イギリスのブリティッシュ・エアウェイズ (British Airways)であれば「BA」
です。
 
それで、ANAです。日本への出張の際にはANA便に乗ることが多かったので、便名と一緒によく覚えてるんですが、ANAの航空会社コードは「NH」なんですね。
「NH」だったら、たぶん「Nihon」の略なんだろうなあ、と思ってたんですが、よくよく考えてみるとANAのNは「Nippon」だし。「Nihon」って読んだらライバル会社のJALになっちゃうし。なぜ「NH」なんだろうと思ってました。
実はこの「NH」、「Nihon」という意味ではなく、前身である「日本ヘリコプター輸送 (Nippon Helicopter)」の略なんだそうです。ANAってヘリコプターの会社だったんだ!!
調べてみると、元々はヘリコプターによる宣伝活動を目的にした会社だったそうなんですね。そこから、飛行機事業に参入し、貨物事業、旅客事業へと拡大、さらには国際線への進出とスターアライアンス加盟と、事業を展開してきました。
今となっては、ヘリコプターのイメージはほとんどないですが、そういう原点に返れるような要素がどこかに残っているというのは、とてもいいことだと思います。
最近、名前について考える機会があったので、ふと思い出したお話でした。

私が出走率にこだわる理由。

前のエントリでも書いた通り、昨日は館山マラソンでした。
さて、とにもかくにも、2014年の初戦が終わりました。レースとしてはかなり厳しいものになりましたが、予定通りレースに出て、なおかつ完走できたんだから上出来だと思ってます。
打席に立ち続けることが大事。レースに出続けることが大事。
http://joglog121123.blog.fc2.com/blog-entry-429.html

でも書きましたが、今年は出走率にこだわります。完走するだけで「Good job!」と言いたくなるチャレンジレースが多いので、完走率にはそれほどこだわりません。DNFはOKだけど、DNSにはならないようにがんばります。
ちなみにDNSとDNFですが、

●”DNS”は「Did Not Start」の略で、
  出走せずに棄権すること
●”DNF”は「Did Not Finish」の略で、
  スタートはしたものの途中でリタイアすること
(参考) “DNS要因”と”DNF要因”を考えて、モレなくダブりなく準備する。

ですね。まだ初戦ですが、今のところ出走率100%、完走率も100%です(笑)
本番でしか踏み込めない領域がある
私が出走率にこだわるのはいくつか理由があります。その一つが、本番でしか鍛えられない領域があるということ。
通常の練習では42kmの距離を走ることはありません。フルマラソンの練習であれば、走ってもせいぜい30kmで、通常は20km程度までです。大会でもない限りまとまった時間を取れないこともありますし、何より練習でそれだけ走り切る気力はありません。
距離にしてもそうだし、自分の限界という意味でも、練習では絶対に走るのをやめてしまうであろうところでも、本番なら頑張れるものです。そういう限界に近い領域は、本番でしか踏み込めないので、レースを通じて鍛えるしかないところです。
本番だからこそ、悔しい
今回も42km走ってみたら、最後まで持たなかったわけですが、これは本番だからこそ悔しい。もし、練習だったら、「今日は調子が悪かった」という程度で終わってしまいがちです。
本番だからこそ、言い訳できないし、失敗したときの悔しさが大きいです。そしてそれが、次のレースへの危機感につながります。昨日のレースも、もしこれが3月のIzu Trail Journey(※)だったらと想像してみて、「このままだと、かなりやばい」と認識しました。
※Izu Trail Journeyは、来年チャレンジしたいUTMB/UTMFにエントリーするためのポイントがかかっているので、何としても完走したいのです。
本番だからこそ、楽しい
最後に、大会は素直に楽しいものです。どんなに小さな大会でも、ランナーが集まり、それを応援してくれる人たちが集まるだけで、楽しい気持ちになります。ポジティブなエネルギーに満ち溢れている感じがして、居心地がいいものです。終わったあとは、みんな燃え尽きてますが(笑)もちろん、自分が応援する側に回っても楽しいですね。
この楽しさは、「また走ろう」というモチベーションにつながります。一人で淡々と練習するのもいいですが、練習代わりに大会を使ってみるのもいいと思います。
本番でしか得られないことも多いですし、たくさん本番をこなすことが、一番早く成長できる道なんだろうと思っています。

“本番”の本気感が学びを加速させる:館山マラソン行ってきました!

今日は、前エントリで触れた通り、館山若潮マラソンに行ってきました。
結果は惨敗
今日の館山は、前半の海沿いコースが終始向かい風がきつかったものの、暖かくコース沿いには菜の花が咲いていてとても気持ちよかったです。
21kmまでは、ゲストランナーでペースメーカーも務められていた金哲彦さんのあとにしっかり付き、5:10〜15/kmぐらいのペースで順調に走っていたんですが、徐々に懸念だった右ひざに違和感を感じるようになり、27km地点では脚を動かすたびに刺すような痛みが走るようになり、そこからはストレッチを何度も挟みながら、ほぼ左脚一本で何とかゴールまでたどり着いたという感じです。
結果としては、想定タイムを大幅に超える4時間40分で何とかゴール。このタイム、実は初マラソンと同じくらいです。走力としてはもちろん当時より上がっているんですが、コンディションが悪いと、結果的には同じくらいになってしまうということですね。
走力・実力だけでなく、当日までのコンディショニングやレース中のマネジメントによって大きく結果が変わる、こういう所もマラソンの面白いところです。
一方で収穫もたくさん
レース結果は散々だったものの、収穫もありました。
今日は、右ひざのコンディションが相当悪い中で、いかにリタイアせずにゴールまでたどり着くかということをずっと考えながら、実験しながらレースを進めたわけですが、こういった状況は、これから走るウルトラマラソンや、今年チャレンジ予定のトライアスロンでは必ず遭遇するシチュエーションです。
非日常な距離、非日常な耐久レースにおいては、ゴールするまで体がすべて万全ということはありえません。痛む体とどう付き合って、リタイアせずにレースを終えるかというのが、とても重要になってきます(トップ集団でタイムを競うようなレベルにはありませんので…)。そういう意味では、実践の中で練習し、経験を積んだことは大きな収穫です。
他にも、ロードで初めてバックパックに水を入れて背負いながら走ってみたり、補給用のジェルをソフトフラスクに入れて使ってみるなど、本番で色々と試すことができました。
“本番”の本気感が学びを加速させる
マラソンに限らずですが、”本番”の本気感が何かを習得するために非常に重要です。
みなさんも経験があると思いますが、たとえば仕事上の研修で実践型のワークなんかがあった時、どれだけパフォーマンスがイマイチでも「まあ研修だし、いい勉強になった」「仕事の時は本気でやるから大丈夫」と逃げてしまうことがあるでしょう。
研修も練習も、どこまでいっても本番ではないですし、本番の”本気度”もありません。”本気度”がなければ危機感を感じ、切迫感をもって取り組むこともありません。
そういう意味で、実戦で闘ってみることが、最高の学びの場であるということですね。惨敗ではありましたが、収穫の多いレースとなりました!スタッフの皆様、たくさん応援していただいた館山の地元の皆様、それから共に走ったランナー達に感謝です。

打席に立ち続けることが大事。レースに出続けることが大事。

今日は、これから館山若潮マラソンに行ってきます。
1年のブランクを挟んでランを再開した去年はトレイルランとウルトラマラソンに集中していたので、ロードのフルマラソンはほぼ2年ぶり、楽しみです!
実はちょっと出走を迷ってました

昨年後半から痛めている右ひざが、まだまだ本調子じゃないので、エントリーはしていたものの出るかどうか、今年に入ってからも迷ってました。今も実はちょっと迷ってます。ここでまた痛めると、トレイルシーズンに間に合わないかも、と考えてしまいます。
12月と1月は合計しても、80km程度しか走れてないですし、調整もしてないのでどれだけ走れるかは全然分からないんですが、そういう状況で走ったことがないので、それはそれでいいトレーニングになるかな、と思い直しました。
プロといえど、いつも万全なわけではない
もうすぐソチ五輪が始まりますが、アスリートに求められることと言えば、本番で最高のパフォーマンスを発揮すること。そしてそのための調整、いわゆるピーキングです。
万全の練習を積んで、万全の調整を行って、万全の体調で当日を迎えることができればベストです。実際は不本意な状態で本番を迎えることも多いでしょうが、少なくともそれを目指すのがプロというものでしょう。
ランニングの練習・調整・体調管理を最優先で生活できるわけではない市民ランナーが、プロでも難しいこれらのことができていなくても仕方のないこと。ましてや、それを言い訳として持ち出すのはいかがなものかと思うのです。
もう一つのプロ精神
だとしたら、「打席に立ち続けるのがプロ」というもう一つのプロフェッショナル精神だけでも取り入れようというのが、少しでも高みを目指さんとする市民ランナーとしての心意気です。
プロとしてやっている自分の仕事であれば、調子がよかろうと悪かろうと、仕事はしますよね。調子が出ないから今日は仕事しませんと言えれば、どれだけ楽なことか。まあ、そういう日もなくはない気が…いや、それはプロではないですね。
調子の善し悪しに関係なく、平均してそこそこの打率を残すのがプロというものです。そしてそのための出発点は、まず打席に立つことです。
3月からは、自分としてはかなり挑戦的なスケジュールを組んでいます。最強の市民ランナー川内選手を見習ったわけではありませんが、ランとしては「レースを走ってなんぼ」の年にしようかと。
完走率100%で一年を終えられるかは分かりませんが、出走率100%は達成したいと思います。
そういうわけで、今から館山に向かいます!

第Ⅱ領域活動に取り組むコツ:「○○デー」と決めて、まとめて片付ける。

本日、メンテナンスデーです。
今日はメンテナンスデー。ということで、人と会う予定は入れず、第Ⅱ領域の活動に集中した一日です。念のため、第Ⅱ領域(第Ⅱ象限)とは『7つの習慣』で提唱されている考え方で「緊急ではないが重要なこと」です。
「緊急かつ重要なこと」である第Ⅰ領域はもちろん最優先となりますが、この第Ⅱ領域を意識していないとすぐに第Ⅲ領域「緊急だけど重要ではないこと」に時間を奪われますし、意思が弱いと第Ⅳ領域「緊急でも重要でもないこと」に流されます…

そういうわけで、すぐに他の領域の活動に流されてしまうことが往々にしてあるので、私の場合は、日を決めてしまって、その日は徹底的に第Ⅱ領域活動に取り組むということをやっています。
日を決めて集中的にメンテナンス案件を片付ける

第Ⅱ領域活動の中でも、おろそかになったり、後回しになりがちなのがメンテナンスです。日記とか身体のストレッチのような、毎日のことであれば、決めた時間にやればいいので忘れることもないんですが、一定周期で必要になるようなことはついつい先延ばしにしてしまいます。
たとえば、
・歯医者の定期検診 (半年に一度のペース)
・髪を切る (もう10年以上自分でやってます)
・マラソンのレース用品/携帯食などのチェックと補給
・洋服のクリーニング
・革靴のメンテナンス
・通勤用のロードバイクのタイヤの空気入れ
・・・
こういった、たまにしか必要にならず、やるとなると億劫になりがちなことを、まとめて片付けてしまうわけです。アポが必要なものは、この日と決めたら集中してその日に入れまくり、一日の計画をガチガチに決めてしまうのがコツです。もちろん自分とのアポイントメントも含めてですね。
一日にテーマを持つ
第Ⅱ領域の活動は、意識しないとなかなか時間を割けないものです。だから、メンテナンスデーという日を設けて、メンテナンスに関係する予定を入れまくるわけです。
これはメンテナンスに限ったことではなく、一日にテーマを持つと気が進まないことでも集中的に片付けられたりします。メリハリも付きますしね。先日のエントリで書いた備蓄デーもその一つです。
面倒な案件こそテーマを設けて一日を計画するのはとてもおすすめです!第Ⅱ領域のテーマは地味になりがちですが(笑)