おもてなしとIFTTTの話。<後編>

引き続き、「おもてなし」について。

前のエントリは、こちらです。
おもてなしとIFTTTの話。<前編> | reboot blog

IFTTTとは?

「おもてなし」について考えていたら、「IFTTT」が頭をよぎりました。

念のため「IFTTT」とは「if this then that」の頭文字を取ったもので「イフト」と読みます。

IFTTT(イフト)とは「レシピ」と呼ばれる個人作成もしくは公に共有しているプロフィールを使って数あるWebサービス(Facebook、Evernote、Weather、Dropboxなど)同士で連携することができるWebサービスである。開発したのはリンデン・チベッツで2010年にスタートした。
(Source: wikipedia 「IFTTT」)

平たく言うと上の通り、Webサービス同士を連携させるサービスの一種なんですが、どんな風に連携させるのかと言うと、

「if this then that」というシンプルなコンセプトに基づく「レシピ」を作成し共有することができる。レシピの「this」の部分は「Facebookで写真をタグ付けした時」「Foursquareでチェックした時」といった「きっかけ」になり、「that」の部分は「テキストメッセージの送信」「Facebookでステータスメッセージを作成」といった「行動」になる。ユーザーが使用するサービスで有効にする「きっかけ」と「行動」のコンビネーションがレシピである。
(Source: 同上)

ということです。

つまり、「何かがトリガーになって、何かが起こる」という一連のプログラムを、サービスを横断して自分でつくることができるんですね。この「レシピ」という考え方はすごく面白い。これからも、どんどん増えていくと思います。

世の中は、これから本格的なIoT時代に突入していきますが、IoTの世界だと、あらゆるものがネットワークにつながっているので、Webサービスだけが対象であった”this”や”that”が三次元のモノの世界にも拡張されていくのは間違いないでしょう。帰宅して家の鍵を開けたら、自動で電気とエアコンとテレビが付いて、お風呂を焚き始めるといったことが普通になるんでしょうね。

生活者にとってのIFTTTは、日常生活を立体的にカスタマイズするためのプログラムと言えるかもしれません。しかも、スマホをカスタマイズするぐらいの感覚で。うまくプログラミングすれば、あたかもモノたちが自律的に動いているかのような世界観をつくることができるわけで、つまりは、自分用にカスタマイズされた世界の中で生きることができるということでもあります。

IFTTTの限界

それで、「おもてなし」の話からなぜIFTTTのことを思い出したかと言うと、これだけ可能性を感じているIFTTTではありますが、そうは言っても、やっぱり自動化された<サービス>でしかないんだなと思ったからです。

IFTTTの場合、ほしいサービスをレシピとして自分で作成している分、満足度は高いはずだし、トリガーがかかった場合の遂行率はほぼ100%だし、極めて優秀な”バーチャルサービスパーソン”ではあります。でも、いかんせん、事前に作成したレシピ通りにしか動かないんですよね。

<サービス>と<おもてなし>の文脈でいえば、どれだけ自分好みで完璧な<サービス>を提供してくれたとしても、プログラム時の想定を超えることは絶対にありえません。それは、マニュアルに書いて人を動かすのか、IFTTTで書いてモノを動かすのかという手段の違いでしかなく、質の違いではないからです。

「おもてなし」だけが人間に残された領域

逆に言えば、マニュアルに明記できるようなものは、すべてIFTTT(やIFTTT的なもの)に置き換えていくことが可能ってことで。人間がマニュアルに従って動作するより、ロボットが動作した方がはるかに正確です。こういう領域からは、良くも悪くも人間は追い出されていくんだろうと思います。

となると、人間に残されているのは、やはり<おもてなし>の領域ではないかと。マニュアルには書きかねるような複雑さや繊細さを扱うところにのみ、人間が介在することになるだろうと。そしてそこは、日本人の偏差値が超高いと言われている領域ですよね。日本人、大チャンスです。

未来予測的な言い方をするのであれば、

・今、マニュアルに従って働いている人は、ネットワークにつながったモノに置き換えられていくでしょう。
・今、マニュアルを書いている人は、いいIFTTTのプログラマになるでしょう。
・今、マニュアル化するのが不可能な領域で働いている人は、人間らしい仕事の先駆者として将来にわたって安泰でしょう。

「おもてなし」の話から広がったちょっとした妄想でした。当たらずとも遠からずだと思ってますが!?

「おもてなし」についての考察は、近日発売のこちらの本に詳しいようです。私も読んでみようと思っています。

おもてなしとIFTTTの話。<前編>

先日、「『おもてなし』を科学する」というテーマのお話しを聞く機会をいただきました(オープンな場ではなかったので詳細は伏せさせていただきます)。

接客業や営業職では、おそらくよく議論されているテーマだとは思いますが、これまで真っ正面から考えたことがなかったので面白かったです。自分の仕事の中でも、UXの開発なんかにおいては、とても大切な視点ですしね。

ところで「おもてなし」って何?

「おもてなし」といえば、流行語大賞にも選ばれた、昨年9月IOC総会での五輪東京誘致の例のプレゼンテーションを思い出したりするわけです。そこでは、日本のホスピタリティを象徴する言葉として謳われていたわけですが、「じゃあ一体、おもてなしって何なのさ?」と問われると、日本人であっても答えに窮するところではないかと…東京五輪が来るまでに、もう少しちゃんと考えておいた方がいいかもしれませんね。

そんな<おもてなし>ですが、いくつかの定義があるようです。<サービス>と比較する形で語られることが多いようで、

たとえば、提供する側/提供される側の関係性に着目し、

・両者に主従関係が発生し、チャージやチップが発生する<サービス>
・家族と接するように、見返りを求めない関係が<おもてなし>

または、お客様の期待値を基準にして、

・期待の範囲内の提供は<サービス>
・期待をいい意味で裏切るような気遣いが<おもてなし>

など、それぞれの定義に、一理あると思わせるものがあります。<おもてなし>と<ホスピタリティ>は区別したりしなかったり、そちらの定義も色々あるようですね。

「お・もて・なし」=「お”以て””為し”」

色々あるらしい「おもてなし」の定義。どれもそれっぽいんですが、前述の場ではその語源から紐解いておりました。

「おもてなし」とは、「お・もて・なし」。漢字で書くと、「お”以て””為し”」。つまり、「○○を以て、□□を為す。」の省略形だそうです。心構えというか、人を遇するときの精神みたいなものが語源だと勝手に想像していたので、これはとても意外でした。○と□には何でも入り得る、ただの式みたいなものですからね。

面白いのは、お”以て””為し”が、接遇に関する一種のテンプレートではあっても、マニュアルではないというところ。「どのような接遇を行うべし」という指針ではないところです。

つまり、「どんな時でもこうしておけばOK」というような接遇が一つの解として決まるものではないということを大前提にしていて、だからこそ提供される側との関係性や状況によって、提供する側(またはされる側)のクリエイティビティが入り込む余地が、あらかじめ確保されているというんでしょうか。

日本の「おもてなし」と言えば、旅館のおかみさんや寿司屋の板前さんが、例としてより取り挙げられます。呼んでないのに、絶妙なタイミングでお茶を持ってきてくれたり、その日の体調に合わせて握ってくれたり。

そういった空気の読み方は、高コンテクスト文化の日本だからこそ成立しているのかもしれませんが、それにしても「何を以て何を為すか」、その都度その都度判断しているこういう方々は、極めて高度な知識労働者であると言えると思います。

もしかすると、お客様と台本のないサプライズゲームでも楽しんでいるような感覚なんじゃないでしょうか…

そんな話をしていたら「IFTTT」のことが頭をよぎったんですが、長くなったので、次のエントリに続きます。