情報発信するときにこそ思い出したい言葉「何をもって憶えられたいか?」

昨日は、「プレゼントを選びやすい人と選びにくい人の違い。」 というエントリで、プレゼントの選びやすさにも普段の情報発信度が表れているかも、ということを書きました。
プレゼントを贈ろうとその相手を思い起こしたときに、まず何を連想するか? 受け取る方の立場からは「自分から何を連想してもらいたいか?」という問いに言い換えることができます。
これって、マーケティングで言うブランディングでやろうとしていることと同じですよね。ただ、対象が商品やサービスや企業ではなく個人であるとというだけで。つまり「セルフブランディング」ってことですね。

セルフブランディング(せるふぶらんでぃんぐ、SelfBranding)とは、企業や組織に所属しない「個人」が、自らをメディア化し、自らの力でプロモーションすること。
(Wikipedia: セルフブランディング)

情報発信はセルフブランディング
ここでは、「企業や組織に所属しない「個人」が…」と説明されていますが、組織に所属している人でも、個人として活動する場合は同じことが言えるでしょう。
発信の方法は、SNSやブログやメルマガなどパーソナルメディアを介し意図的に発信したものから、対面での会話の内容や与える印象、もちろん、仕事におけるアウトプットなど多岐にわたります。
でも、毎回発信するときに、そういう意識で発信を行っているかと言われるとちょっと疑問。これら全てが自分のプロモーション活動という側面を持っているということです。
「何をもって憶えられたいか」
ドラッカーの有名な言葉に「何をもって憶えられたいか」という問いがあります。ライフデザインやキャリアデザインをする際にはよく思い出す言葉ですが、日々の情報発信のときにこそ思い出す言葉なのかもしれません。
「セルフブランディング」だとか、「自己プロデュース」なんて言葉もずいぶん浸透していますが、突き詰めるとこの問いに集約されます。間もなく新しい年が始まりますが、「どんな自分として憶えられたいか」考えてみるいい機会ですね。それによって新年の挨拶も変わるかも!?
2013年もあとわずかですね。みなさん、よいお年を!

プレゼントを選びやすい人と選びにくい人の違い。

今年もいよいよあと二日ですね。ちょっと一年を振り返ってみて感じたことを。
誕生日にランニンググッズをいただきました!
今月誕生日があり、うれしいことに家族や友人からプレゼントをいただきました。いくつになっても祝ってもらえるのは嬉しいことですね。(メッセージいただいた皆様、本当にありがとうございます!このエントリ、プレゼントの催促ではありませんので笑)
それで、そのいただいたプレゼントがいずれも趣味のランニング用のウェアやグッズで、すぐ使えるし、何より自分のことを分かってもらえているということが嬉しいものです。(愛用しています。ありがとうございます!)
普段からの情報発信がプレゼントを決める!?
これも、ぼくが走っているということをよく知ってくれているからですね。9月にウルトラマラソンを走るとき、自分を追いつめるために(あと大会後の月曜日に休みを取るために(笑))かなり言って回ってましたし、Facebookでも何度か上げているので、そういう印象が残っていたのかもしれません。
いずれにしても、「プレゼント何にしよう?」と考えたときに、ランニンググッズがいいかなと思い起こさせるような情報発信を、こちらの方からしていたんだろうなと思ったわけです。
いただくプレゼントは、自分がどんな情報を発信しているかを映す鏡

プレゼントを贈ろうと思った場合、「何をあげればいいか分からない!」という人がいます。逆に選びやすい人もいますよね。「あの人ならこれだろう」と。これは単純に、普段からの情報発信の質と量によるものではと思うんです。
プレゼントについて一番分かりやすい情報発信は、「○○がほしい!」ですね。毎年クリスマスの季節になると、プレゼントを何にするか、それとなく(でも必死に)お子様から聞き出すことに苦労されている方もいるかと思います。
さすがに、普段からそんなに分かりやすく何が欲しいか発信している人も少ないので、趣味・好み・価値観など持っている情報から、何が喜ばれそうか想像するわけですね。贈る立場からすると、この想像がとても楽しいんですが、手がかりがないと不安です。そしてだいたい無難なものに落ち着いてしまいます・・・
あなたがもらうプレゼントというのは、自分が普段からどういう情報発信をしているのかを映す鏡なのかもしれませんよ!

『ゼロ・グラビティ』観ました!100km走るぐらい極限でも何でもないよねと思えます。

昨日は、誘われていた映画に友人と。自分で観ようと思う映画と、誘われて観る映画はだいたい違うので、誘われたときは迷わず乗ることにしています。じゃないと、自分の好きなタイプの映画しか観なくなっちゃいますからね。
『ゼロ・グラビティ』を観てきました
ということで、誘われるがまま『ゼロ・グラビティ』を観てきました。話題作だけあって、お客さん多かったです。
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どんな映画だったのか、ネタバレにならないように、内容についてはオフィシャルサイトのあらすじに留めますが、観る価値ありです。

極限の宇宙空間で、衝撃と感動の90分!
衝撃的にリアルな宇宙映像!全身を貫く感動!
この冬 最大の話題作『ゼロ・グラビティ』
地球の上空60万メートル。
温度は摂氏125度からマイナス100度の間で変動する。
音を伝えるものは何もない。気圧もない。酸素もない。
宇宙で生命は存続できない。
(『ゼロ・グラビティ』オフィシャルサイト SYNOPSIS)

これではどんなストーリーか全然分からないと思いますが(笑)、とにかく宇宙空間に一人放り出され、そこから生還するための孤独な闘いが繰り広げられます…
「衝撃的にリアルな宇宙映像!全身を貫く感動!」
というのは誇張ではなく、 この映像体験はたしかに衝撃です。一人称で宇宙遊泳を楽しめます。その分、精神的な極限状態もリアルに感じられてしまいます。見始めたら、怖くなっても逃げられませんのでご注意を。91分と短い映画なんですが、仕事をしている時より、走っている時より疲れます。ポップコーンは買わない方がいいですよ。口に入れるタイミングもありませんから(笑)
これと比べたら100km走るなんて極限でも何でもないよね

極限状態といえば、ぼくは自分の極限の線を少しでも外側に拡げるためにウルトラマラソンなんかに挑戦しているわけです。でも、この映画を観て、たかだか100km走ることぐらい 極限でも何でもないなと思ってしまったんですよね。
完走できなくても死ぬわけじゃないし、息できないわけじゃないし、地面に足ついてるし。自分以外に走ってくれる人がいないという意味で、孤独な闘いではあるけれど、応援までしてもらっている。その程度の状態で”極限”と表現してしまうことはちょっと違うのかもしれないなと。
ただし、自分の枠を拡げるという目的に関して言えば、絶対的に自分自身の体験であった方がいいと思っているので、リアルな世界で実行可能なチャレンジを行うことには価値があるとも思います。さすがに宇宙に一人で放り出されるというような状態を自分で体験するわけにもいかないわけで。
そう考えると、どれだけぬるくても実体験としてチャレンジ可能な極限状態は、本当の極限状態を想像するための足がかりぐらいにはなっているのかも。100kmでも大失恋でもいいですが、孤独を経験したことがなければ、宇宙空間に一人で放り出される孤独は想像することもできないですもんね。
自分の体験と映画の中での体験を想像力でつなぐ

映画による疑似体験は、想像力を刺激してくれます。自分の知っている最高の極限状態と、映画世界のような(架空かもしれないけど)本当の極限状態との距離感を感じさせてくれる程度には、想像力をかきたててくれます。自分の体験とひもづけることで、自分にとっての(たとえばこの映画なら)”孤独”の意味が豊かになるわけですね。
こんな風に、自分の既知の世界と映画の中の未知の世界を、想像力でつないでみる。自分の体験を元にシミュレーションしてみるといった楽しみ方がぼくは好きです。だから、観てて疲れるのか・・・もちろん普通に観ても楽しめる映画ですよ!

Pefumeの東京ドームLiveで感じたこと:楽しさにおける”集積の経済”②

昨日のエントリで、「楽しさにおける”集積の経済”」と書きましたが、もう少し詳しく考えてみたいと思います。
“集積の経済”とは
“集積の経済”って、難しそうな言葉ですが・・・経済学の用語ですね。

集積の経済(しゅうせきのけいざい)とは、異業種の企業が集中して立地することで得られる外部経済のことをいう。都市経済学において、都市の成立要因のひとつとして指摘されている。
(Wikipedia: 集積の経済)

さらに、この説明に出てくる”外部経済(外部性)”ですが、

外部性(がいぶせい、英: Externality)は、ある経済主体の意思決定(行為・経済活動)が他の経済主体の意思決定に影響を及ぼすことをいう。
(Wikipedia: 外部性(外部経済から転送))

ということです。
難しく聞こえますが、そんなことはありません。外部経済の説明としてよく挙げられるのは養蜂場と果樹園の例です。近くに養蜂場がある果樹園は、ミツバチが受粉を促してくれるため、果樹の生産を増やすことが可能だということですね。しかも自分のところでコストをかけることなしに。この場合、果樹園経営者にとっての養蜂場が”外部”というわけです。
人が集まっているってものすごい可能性
さて、話を戻しましてPerfumeの東京ドームライブですが・・・
ライブに来ている個々の人はもちろん独立した存在。それなのに、楽しくて踊ってる他の人を見て、自分もなんか楽しくなって踊っちゃう(これも一種の意思決定ですね)。こういうのって”外部経済”って言ってもいいんじゃないですか!?
踊ってる人が「一緒に踊ろう」とか言って影響しているわけではないですし、お互い独立した存在です。もちろん一緒に来ている友だちとの間にはそういう影響があると思いますが、自分とは関係なく、でも自分と同じように見ず知らずの人たちが一斉に盛り上がっている様子を見て、気分がぐっと高揚するということがありますよね。
もしドームに集まった4万5000人に4万5000個の個室が用意されていて、別々にライブを観るとしたら、あんな興奮と盛り上がりにはならないわけですね。この+αの部分に”集積の経済”を感じるわけです。
色々と小難しく書いてきましたが、一言で言うと「みんなで観た方が楽しい」ということに尽きるのかもしれません(笑) 人が集まっているという、ただそれだけの状態でも、ものすごい力を秘めているということをただ伝えたかったということで。

Pefumeの東京ドームLiveで感じたこと:楽しさにおける”集積の経済”

一日報告が遅れましたが、一昨日はPerfumeの東京ドームLiveに行ってました。こっそり告白しますが、デビューした頃からPerfume好きなんです。
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早起き生活継続中ですが、それが続けられるのも、朝5時になったら爆音で鳴ってくれるPerfumeのおかげです。極限の眠さのときには本当に好きな音楽しか聞けないものですよ。目覚ましに使ってみると、その音楽が本当に好きかどうか分かるかも(笑)
今年Perfumeはヨーロッパツアーを行っていました。そのLondon公演を日本をはじめ、アジアのいくつかの都市の映画館でPublic viewing liveを行うという試みもありました。もちろん行きましたよ、渋谷に午前4時です。本当に好きじゃないと行けないでしょ。
でもリアルタイムでつながってるんですよね、Londonはもちろんアジアのほかの都市とも。渋谷会場も朝の4時スタートにも関わらず満席で、まったく眠さも感じさせず踊ってましたからね。
4万5000人がひとつのことに夢中になる

それで、一昨日の東京ドームLiveなんですが、Perfumeに限らず、東京ドームで行われるライブに行ったのは初めてでした。ライブは基本的には小さいハコの方がアーティストと近いし、会場の一体感もあるし楽しいと思ってたから。フェスには行きますけどもっとゆるい楽しみ方ですしね。ドームみたいな大きな会場で楽しめるんだろうか、と思ってたわけです。
ところが、行ってみるとすごい楽しい。これだけの人(4万5000人だそうです)のポジティブな感情が一点に集中している場というのはなかなかないですよ。何しろ全員がお金を払って、クリスマス当日に他の予定よりPefumeにプライオリティを置く人たちだけが集まってるわけですからね。
楽しさにおける”集積の経済”みたいなものってありますよね

「でかけりゃいいってもんじゃないでしょ」と思ってましたが、この考え方は改めます。集まる人の質が落ちないのであれば、多ければ多いほど楽しいのかもしれない。楽しもうという気持ちは多ければ多いほどいいのかもしれない。だって、楽しんでる人を見ると、ぞくぞくしませんか?もっと楽しい気持ちなりませんか?
そういう「楽しさにおける”集積の経済”」みたいなものが、生まれていたように思います。これが、集まることの本質的な価値なのかもしれないなあと感じたPerfumeの東京ドームLiveでした。いやー楽しかったです。

仕事と趣味はトレードオフではない。

さらに前エントリの続きです。
「ONとOFF」の仕事観はやめよう
仕事と趣味、あるいは仕事とプライベートの関係については、トレードオフの関係だと思い込んでしまいがちです。DJミキサーのクロスフェーダー(写真一番下のバー)を左右に動かしているイメージでしょうか。
(参考) DJ Mixer
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左側のプレイヤー(これを仕事と考えてみる)の割合を上げると、右側のプレイヤー(同じくプライベート)の割合が下がるわけです。逆も同じです。バーが動かせる総量は自分の可処分時間かもしれませんし、心の中の占有面積かもしれません。いずれにしても、仕事とプライベートは常にトレードオフの関係です。「ONとOFF」という言葉で語られるような仕事観はこんな感じですよね?
仕事と趣味はトレードオフではない
でもちょっと違った風に考えてみたいと思っています。たとえばこんな感じ。プレイヤーは1つしかありません。そして、スピーカーが2つあります。流れる音楽はもちろん一種類なんですが、どちらのスピーカーに出力するかを切り換えることができます。
1つのプレイヤーで回しているのは、趣味を仕事化したもの。スピーカーは2つありますが、仕事用のOutputであれば左のスピーカーから、プライベート用のOutputであれば右のスピーカーから音が出るようにスイッチするというイメージです。(本当は、1つのプレイヤーと1つのスピーカーというシンプルなセットがベスト!)
仕事と趣味の円を極限まで重ねる努力
上のイメージのようにプレイヤーが1つで済むのが理想的ですが、現実的には難しいかもしれません。それでも、趣味の”レコード”と仕事の”レコード”をできるだけ重ね合わせるための努力は必要だと思うんですよね。
サラリーマンであれば、たとえやりたくない仕事であっても、組織のルールや上司の指示によって逃げられないこともたくさんありますし、独立していたって、売り上げや利益のために仕方なくやるということもあるでしょう。
それらを必要悪として割り切ってしまうのも一つの考え方ですが、少なくてもそういう仕事の割合を減らしていくための手を打つ必要があると思うんですよね。それは、自分がオンリーワンの存在になって交渉力を高めることかもしれないし、十分な資産やキャッシュフローを確保して、嫌な仕事は断れるようにすることかもしれません。
とにもかくにも、自分で手を打たなければ、永遠に主導権を握ることはできないでしょう。やれることからやってみよう、ですね。(音楽に興味のない方にはさっぱりよく分からないエントリです…すいません。)

“hobby-holic”なワークスタイルを。

昨日に続き、「趣味を仕事化すると、仕事が趣味化する。」について。
目指すべきは“hobby-holic”な状態
仕事の中身(What to Work)に関しては、趣味と言えるようなことを仕事の領域に持っていく。そうすると、仕事のやり方(How to Work)に関しては、趣味のように没頭して、結果として楽しく仕事ができるようになります。これが理想的な働き方だなあと。
趣味は自然な状態で「やめられない、とまらない」ですよね。自然にモチベーションが湧き上がってきます。この状態を”workahalic”と対比して”hobby-holic”(こんな言葉ないんですが…)と呼ぶとすると、これが一番のワークスタイルだと思っています。
「仕事が趣味」と言う人がいます。ぼくもそういう時期がありましたし、今も半分くらいはそんな感じかもしれません。でもこれは、”hobby-holic”とは根本的に違うものです。
「仕事が趣味」と言う場合、プライベートも他の生き甲斐もなく、ただ「仕事としての仕事」で生活が占められていることが多いです。もちろん、「仕事としての仕事」ではなく、趣味が仕事になっている場合は、どれだけ没頭しても構わないでしょう。そんな時その仕事は、ライフワークとでも呼べるものでしょう。
でも、「仕事としての仕事」が生活のすべてという状態になってしまうと、何かの事情で仕事がなくなってしまったとき、あとには何も残りません。自分が何のために生きているか分からなくなってしまいますよね。
本当かどうか分かりませんが、「定年退職した方の3割が1年以内に亡くなる」という話も聞いたことがあります。ずっと楽しく働こうと思ったら、やっぱり「仕事としての仕事」ではなく「趣味の仕事化」を進めるべきだろうと思うのです。

趣味を仕事化すると、仕事が趣味化する。

充実の3連休を終え、本日仕事納めの予定です。でも、正直言うと、「仕事納めは、今日でも明日でも明後日でもいつでもいいよ!」という気持ちです。
趣味を仕事化する
というのも、会社に行ってようと行ってまいと、やるであろうことは同じだからです。今日は打ち合わせが数件ありますが、今週はそれ以外、会議も緊急の仕事もなく、やりたいことに集中できる一週間。やりたいことって、仕事だからとか、やれと言われたとか関係なく、遊ぶようにやってしまうものです。
こんな風に<What to Work>、つまり仕事の中身に関しては、趣味と言えるぐらいやりたいことを仕事の領域に持ってこれれば理想的です。こういう状態をどうやってつくるか、毎日試行錯誤しています。最近、かなり強引ですが・・・
仕事を趣味化する
一方で、<How to Work>に関しては、趣味のように没頭して働くというのが理想ですね。実際にぼくの場合は、やりたい仕事があるときには、出勤日とか休日とか関係なくやってしまいます。ただ「楽しいからやる」「やりたいからやる」というノリで、趣味とほとんど同じ感覚です。
こういう働き方ができるのも、その対象がやりたいことだからですよね。つまり、<What to Work>に関して、趣味を仕事化しているからです。だからこそ、その仕事に趣味のように没頭できるんだと思います。これを<How to Work>における仕事の趣味化と呼んでいます。
<What to Work>と<How to Work>
ただしこれは、職場がほとんど開店休業状態になる今週に限ってのこと。やりたくない(けど必要な)仕事とか出なくていい会議とかがないからこそです。だとすれば、そういった時間を少しでも減らしていこうというのが、理想的なワークスタイルに向けてのアクションですね。
<What to Work>と<How to Work>の両面から、「趣味が仕事化して、仕事が趣味化する」理想のワークスタイルを再構築中です。「サザエさん症候群」のない生活を目指します(笑)

伝え方って色々あるんですね:”Dumb Ways to Die.”

昨日に続いて、ADMT(アド・ミュージアム東京)「美しき、ブラックリスト展 -英国D&AD賞50年の軌跡-」からもう一つご紹介です。
最高賞である”Black Pencil”を受賞した「Dumb Ways to Die」。日本語だと「おバカな死に方」ぐらいの感じでしょうか。かわいいキャラクターが次々と「おバカな死に方」をしていくだけのアニメなんですが、キャッチーな音楽が耳から離れなくなってやみつきになります(笑)

伝え方にも選択肢がある
最後まで見ていただくと分かるんですが、実はこのアニメ、鉄道会社の事故防止安全啓発キャンペーンです。おバカな死に方がいっぱい出てくる最後の最後で、音楽を聴いていて駅のプラットフォームに落ちてしまったり、線路に降りてしまったり、踏切の中に入ってしまって電車にひかれるキャラクターが出てきますね。
伝えたいのは、「危険ですから、線路には侵入しないでください」というだけのこと。それをこんな風に表現できるんですね。電車にひかれて死んじゃうなんて、髪の毛に火が燃え移っちゃったり、熊にいたずらしていて食べられちゃうのと同じくらい「おバカな死に方」だよね、と。
「危険ですから・・・」と言われるのと、「おバカな死に方」だよねとキャラクターに踊られるのと、どちらが耳を傾けるでしょう?そして、どちらが人に伝えたくなるでしょう?
人が動く伝え方を考えよう
このビデオはYouTubeにアップされ、受賞時点で4000万回以上(このエントリアップ時点で6700万回以上)再生されています。SNSでも300万回以上もシェアされ、世界中の750以上のマスメディアで報じられたそうです。そして、このキャンペーンにより事故が21%減少したそうです。
人を動かしたいと思ったとき、そのままのことを口に出すとか、書いて見せれば動いてくれるなんて考え方は、知的怠慢なのかもしれません。だって、自分ではそんなことされても動かないですから。伝え方にも選択肢とか工夫の余地っていっぱいあるんですね。そんなことを思い出させてくれるビデオです。

アイデアが世界を救う:骨髄移植ドナーを増やすシンプルなアイデア

昨日は、なかなか行くことのない汐留に行く用事があったので、帰りに広告の博物館ADMT(アド・ミュージアム東京)に寄ってきました。ただいまADMTでは、「美しき、ブラックリスト展 -英国D&AD賞50年の軌跡-」を開催しています。
D&ADが創設したD&AD Awardsは審査が厳しく、世界で最も受賞が難しいデザイン・広告賞と言われています。今回は、その受賞作である”Yellow Pencil”と、最高賞である”Black Pencil”受賞作品を紹介する展示会になっています。(“Black Pencil”にちなんで「ブラックリスト」と称していると思われます。)
骨髄移植ドナー登録を増やすための驚くほどシンプルなアイデア
おもしろい作品がたくさんあったんですが、その中でもとりわけぐっと来たのが、Help Remediesという製薬会社の「HELP! I WANT TO SAVE ALIVE」という、骨髄移植ドナーを増やすためのプロジェクトです。
従来、骨髄バンクの登録は、専門の医者のところにいって採血して登録するか、有料の郵送用のキットを取り寄せて送り返す必要がありました。世界中で毎年65万人が白血病及び悪性リンパ腫と診断されており、多くの場合、骨髄移植だけが最後に残された希望ですが、こういった複雑で面倒な登録手続きによって、骨髄ドナーは少なく適合率も50%ぐらいしかないということで、ドナー登録を増やすことが重要な課題なんですね。
これを解決する驚くほどシンプルなアイデアが、骨髄ドナー登録用キットを絆創膏の箱の中に入れてしまおうというものです。キットといっても綿棒と返信用の封筒が入っているだけで、ちょっとした切り傷ができたとき、絆創膏を貼る前に綿棒で血を採取して登録センターへ送ってもらうというもの。これによって骨髄ドナー登録数は3倍近く増えたそうです。
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「わざわざ」をなくしてあげればぐっとハードルが下がる
何かを企画するときに、ユーザの”Pain Points”を解消してあげるというアプローチがありますが、その最も代表的な例ですね。「わざわざ○○○する」の「わざわざ」をなくしてあげるだけで、ぐっと行動までのハードルが下がります。
・わざわざ登録に行く
・わざわざ採血する
・わざわざ取り寄せる
このアイデア、登録する方法とそのためのキットの届け方を少し工夫しただけで何も難しいことをしていません。何かを実現するときに、必ずしも小難しいテクノロジーは必要ないってことですね。なにかと難しく考え過ぎかもなあと反省させられました。こんなにシンプルなアイデアによって救われる人がたくさんいると思うと、嬉しくなります。まさに「ありそうでなかった」ですね。
ちなみに、このアイデアは、2012年に新設された”White Pencil”(社会・環境・健康などの問題解決に貢献するようなクリエイティブ・アイデアに与えられる)を受賞しています。