とあるカフェ会社社長の話を聞いて考えたこと⑤:三度のメシが地球を変える!

カフェ会社の社長のお話を聞いて考えたことシリーズも、これで5つ目。ようやく終わりです。

最後は、カフェという場の可能性について。

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三度のメシが地球を変える?

コミュニティに対してカフェができることを、こんな言い方で表現されていました。

「三度のメシを、誰とどういう風に食べるかによって、地球の未来が変わる」

言うまでもなく食事は、人間が生きていく上でとても重要なものです。食べることなしに生きて行くことはできないし、一日三度は必ず行うものということで、この時間が充実していることは、生活を豊かにする上で大きな意味を持ちます。

ここまでは当然のこととして、もう一歩踏み込んだ食事の価値に触れているのが上の言葉です。

コミュニケーションの視点から見た食事の可能性

人は食べてる時はみんな脇が甘くなるそうです(笑) たしかに自覚が…そういうリラックスしているときのコミュニケーションはとてもクリエイティブになりますね。

そういう雰囲気の中では前向きで柔軟な思考や判断が生まれるし、そういう場で物事が動いていく方がいい時代だと言うのが上のメッセージです。

これに関しては完全に同意です。ロジカルで収束的な思考に向いた場は、どの会社にも必ずといっていいほどあるんですが、クリエイティブで拡散的な場はほとんどありません。

そういう場の役割を、カフェ(またはカフェ的なもの)が果たすことができるんじゃないかってことなんですね。

会議室のような場で、堅苦しく厳かに物事を決めていくのではなく、もっと言えば席の決まったレストランでの会食ですらなく、誰かも知らない隣の人と、偶然盛り上がって何か新しいことが始まっちゃうみたいなことの方がきっとおもしろいし、時代に合っているってことです。

(ちなみに超有名ネット系企業の社長も、「会社をカフェにしたい」と相談に来たことがあるそうです。)

「三度のメシを、誰とどういう風に食べるか」は、「どこで、誰が、誰と、どんな風にコミュニケーションするのか?」と言い換えられるんだと思います。

日々の食事をデザインすることは、コミュニケーションをデザインすること、ひいては組織やコミュニティーをデザインすることにもなるのかもしれません。

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いやー、カフェって奥深いですね。今回の社長の話を聞いていて、飲食業についての見方が変わりました。

今回のお話は飲食業に留まらず、何かしらの発信や(Facebookでの投稿やブログなども含め)、プロジェクトやビジネスの立ち上げ、チーム作りなど幅広く役に立ちそうなヒントがたくさんあったので、そのうちのいくつかを書いてみました。

まだまだ考えたこと・書きたいことがあるんですが、もう少し消化してから、またの機会に書くことにします。

とあるカフェ会社社長の話を聞いて考えたこと④:今必要なのは”ちゃぶ台”だ!

さらに引き続き、カフェ会社の社長のお話を聞いて考えたことから。(長い!?もうすぐ終わります。)

カフェの話とはちょっとずれるんですが、現代の家で一番必要なのは何でしょうね?という話をしていて、「やっぱ、ちゃぶ台だよね」ということになりました。すごく興味深い論点です。

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“ちゃぶ台”が活躍した理由

ちゃぶ台と言えば、ついついこんなシーンを想像してしまいます。家族の象徴というか。

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ちゃぶ台自体、最近ではあまり見なくなりましたが、

・何にでも使える(ちゃぶ台一個あればOK)
・どこでも使える(持ち運べる程度の大きさで脚も畳めて運びやすい)
・コンパクトに収納できる(スペースを取りたいときは脚を畳み壁に立てかけておいたり)

と、狭い家の多い日本の住宅事情・家計状況に適していたこともあり、昔はどこの家にもありましたよね。

汎用的だからこそ、色んな人が集まる

ちゃぶ台は、子どもが学校から帰ってきたら宿題をするのにも使われるし、ごはんの時間には食卓になるし、ごはんのあとは家族で団らんしたりと、一日中様々な用途で使われていました。

汎用的であることの大きな利点は、色んな用途で使うことができるが故に、色んな人がそこに集まってくるということです。

これは、コミュニケーションやコミュニティの観点では、重要なポイントですね。

共有できるからこそ、同時に人が集まる

もう一つコミュニティの観点から重要なポイントは、共有(同時使用)できるということです。

ちゃぶ台では、お父さんがお茶を飲みながら新聞を読んでいる傍ら、子どもたちも一緒に宿題ができるからこそそこに集まります。一度集まってさえいれば、子どもはお父さんに、宿題の分からないところを教えてもらったり、自然にコミュニケーションも生まれます。

PCやスマホも汎用的なツールという意味ではちゃぶ台と同じですが、パーソナルなもので共有や一緒に使うということに向きません。

“ちゃぶ台”としてのカフェ

こうして見てみると、カフェは都市生活における”ちゃぶ台”になろうとしているのかもしれませんね。

カフェほど、訪れる人が好き勝手に、時間と場所を共有している場所はないかも。友人とおしゃべりするために行く人もいれば、読書や仕事のために一人で行く人もいます。食事をするために行く人やリラックスに行く人など、用途も集まる人も色々ですね。

カフェに行くと人間観察したくなるのは、こういう理由があるからかもしれませんね(笑)

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私が属している電機業界においては、機能分化=専門化することが進化の一つの形でした。そして、家族で一台だったものを一人一台に、さらには用途に合わせて一人複数台にというのが普及の標準的な過程でした。

携帯音楽プレイヤーやデジカメなどがその最たる例でしょう。

それから、PCやスマホのように何にでも使える汎用品が主流になっていますが、これからはさらに「共有する」という価値観が主流になっていくんだろうなあと思っています。

とあるカフェ会社社長の話を聞いて考えたこと③:”不完全”でオープン!?

引き続き、カフェ会社の社長のお話を聞いて考えたことから。

不完全な状況でオープン!

前の前のエントリで、「究極のお店」についての考え方がおもしろい、ということを書きました。今回はそういうお店をどうやってつくっていくのかということについて。

とあるカフェ会社社長の話を聞いて考えたこと① :究極のお店とは? | reboot blog

ずばり結論から言うと、


「不完全な状況でオープンし、お客さんと一緒に完成させていく」

という考え方でやっているそうです…

このやり方、めちゃめちゃ勇気のいる方法ですよ。自分たちでも完全じゃないと思っている段階で世に問うのは怖い。

特に、すでに一定のブランド力を築いている場合なんかは、ブランドに見合うだけの品質を担保していなければ期待を裏切ることにもなります(ブランドは負債にもなるということですね)。

もちろん、Webサービスとかアプリなんかの場合は、A-Bテストを軽く回してどんどん改善、なんてこともしやすいんですが、店舗というのはガチガチのハードウェアでもあるわけなので。

”不完全”の意味するところ

とはいっても、おそらくはそんなに適当にオープンしているわけではないんですね、きっと。

ここでいう”不完全”というのは、一旦は完成させるんだけど、将来の変化の可能性をあらかじめ組み込んでおくという意味だろうと思うんですよね(そこまで聞けてないので憶測なんですが)。

つまり、「”Ver.0.9″の状態だけどオープン日来ちゃったから開けちゃえ!」ということではなく、絶対に一旦は”Ver.1.0”までは上げるんだけど、それは”Ver.1.1”になるかもしれないし”Ver.2.0”になるかもしれない。むしろ、Verは上がっていくという前提でオープンするということなんだろうと思います。

そういう意味では、<不完全>というよりは<未完成>といった方がいいかもしれません。

お客さんはいつも想像を超える

“Ver.1.0″まで持って行くまでは、何日も何週間も何ヶ月も立地候補に通い詰め、その地域で生活する人を徹底的に観察し、そこで繰り広げられるであろう風景を細かいところまで想像するんだそうです。

その徹底もすごいことですが、もっとすごいのはお客さんで、どれだけ色んなことを思い描いていても、いつもお客さんは想像を超えた使い方をしてくれるそうです。

だからこそ、最初から変化の余白を残しておくという態度でいることが大事なんだろうと思います。予期せぬ方に転がった方がおもしろいですしね。

とあるカフェ会社社長の話を聞いて考えたこと②:「共感」の先には何がある?

昨日のエントリに続き、とあるカフェ会社社長のお話を聞いて考えたことです。
主にコミュニティに関する話です。感じること・考えることが多々あったので、しばらく続きます・・・

「この指とまれ」がコミュニティを生む

カフェは、ただお茶を飲んだりゴハンを食べたりする場ではなく、お店の存在そのものが一つの発信になっていて、それに共感した人が集まる一つのコミュニティになっているという話でした。

<発信→共感→コミュニティ>の順番ですね。

この中でまず大事なところは、最初の発信です。

発信といっても、必ずしも一般的に想像されるような積極的な情報発信である必要はなく、コンセプトにもとづいたお店の存在や雰囲気といったもののこと。「提案」のような強い形より、「この指とまれ」的なゆるい感覚の方がしっくりきます。

何の発信もなければ”フックのない釣り針”のようなもので引っ掛かりようがありませんし、逆に無理やり人を集めてきても、自発的でないとコミュニティとしては成立しません。ちょうどいいのが「この指とまれ」ぐらいの発信なんでしょうね。

一緒にアクションを起こすと「共振」になる

発信に共感した人たちが集い、コミュニティを形成するわけですが、共感したままで終わるのはもったいないですよね。では、その先に何があるのか?

それは、「共振」だそうです。「共振」は、共感にアクションが伴ったもの。共振といえば、去年こんなのがありました。

みんな楽しそうに踊ってます(笑)

実は、これ、ラジオで流れるYMO「ライディーン」に合わせて、みんなで東京芸術劇場前で踊ろう!というフラッシュ・モブのラジオ版企画でした。

振り付けは、コンドルズの近藤良平さんで、J-WAVEのサイトに練習用の動画もあります。このサイトでみんなそれぞれ練習し、当日は東京芸術劇場前に集まって踊りました。

J-WAVEのオンエアに合わせてモブをしかけよう : J-WAVE 81.3 FM RADIO

ラジオは古臭いと言われることもありますが、一方で、これほど共振しやすいメディアはないかもしれません。今の時代だからこそラジオというのは面白いなあと思います。

こういうムーブメントを見るとコミュニティの可能性を感じますね。

まだまだ続きます。

とあるカフェ会社社長の話を聞いて考えたこと① :究極のお店とは?

先日、某カフェチェーンの創業社長のお話を直接聞く機会をいただきました。

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人気のカフェ・レストランのブランドを多数抱える会社なので、東京に住んでいる人であれば、おそらくどこかのお店には行ったことがあるのではと思うのですが、この方のお話がすこぶる面白く、頭の中をめちゃめちゃ撹拌していただきました。

せっかくなので、話を聞いていて感じたこと・考えたことを何回かに分けて、書いていきたいと思います。(オープンな場ではなかったので、社名は伏せさせていただきます。あしからず。)

カフェがコミュニティをつくる

こちらの会社は、業態としてはカフェやレストランなど飲食店のプロデュース・経営をやっているんですが、そのミッションとしては、地域に根差したコミュニティの再生を掲げています。そのための手段がカフェであったり、レストランであったりというわけです。

カフェというのは、ただお茶を飲んだりゴハンを食べたりする場ではなく、お店の存在自体(つまり、その店のコンセプトだったりスタイルだったり)が発信になっていて、それに共感した人が集まる一つのコミュニティだということなんです。

発信→共感→コミュニティ。ネット上やSNSでも同じ流れですよね。それをリアルでやってるのがカフェなんですね。

究極のお店とは?

自分がカフェの店長だったとしたら、どんなお店にしたいでしょうか?どんなお店が究極の理想形でしょう?

多くの店は、こだわりの料理としっかりした接客でお客さんをおもてなし、気持ちのよい時間を過ごしてもらうことを理想として掲げるんじゃないでしょうか。飲食店ですからねえ、そりゃそうだろうと。

しかし、コミュニティを創るという視点からアプローチしているこちらの社長にとっては、

「究極の店は、ある時突然店員と客が入れ替わっていても気づかないお店。」

だそうです…こんなこと言ってる飲食業の方に初めて会いました(笑)

でも、ちょっと想像してみてください、店員と客が入れ替わっているお店。昔はこういうことはよくあったんじゃないかと思います。常連の客が、ちょっと外した店員の代わりに店番してたりして。

それも、そのカフェを中心としたコミュニティがしっかり共感を生み、地域に根付いてこその話ですよね。

こんな風に、店側とお客さん側できっちり線を引くのではなく、むしろ一体化するというのはとてもおもしろいですね。他のコミュニティにも応用できる考え方だと思います。

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カフェって、ただオシャレにつくればいいってものではないということが分かりました…(当たり前か。)

飲食業界には、これまであまり縁がなかったんですが、場づくりをやっているのだという視線で見てみると、また違った側面が見えてきますね。

明日に続きます。

「〇〇さん、 2円分の書籍が買えます。」って。

タイトルの件名のメールが届きました。

某e-Commerceサイトからの広告メールだったんですが、「2円分の書籍って!」と、久々にピュアな気持ちで突っ込んでしまいました。なんだか滑稽ですよね・・・

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言うまでもありませんが、〇〇のところにはもちろん私の名前が入っていて、2円というのはこのサイトで保有しているオンラインポイントを円換算したもの。

実はこれと同じメールが1ヶ月ほど前にも届いていて、その時は2000円分くらいのポイントがあったので違和感もなかったんですが、その時にポイントを使って本を買い、残ったポイントが2ポイントだったんでしょうね。

きっと、

「〇〇(=人の名前)さん、△△△(=保有ポイント)円分の書籍が買えます。」

という機械的な式を使って、メールを送ってるんでしょう。

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おそらくは、

・件名には名前が入るようにして、アテンションを高めよう!

とか、

・本文を見なくても、ポイントで何ができるのか分かるようにして、サイトを訪れたくなるように!

とか、色々工夫した結果なんだと思います。

でもなんか、血が通っていないというか、「この程度やっとけばいいんじゃない?」という感じが透けて見えてしまうのはとても残念です。

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こういうことはメールを受け取る立場になって多少のシミュレーションをしてみれば、すぐに気付くことだろうと思うのです。

練られた文章や言葉遣いが与える印象を変えるということは否定しません。しかし、それ以前に、こんな風に「雑な扱いを受けている」ということを嗅ぎ取ってしまうと、その文章を読むことすらなくなってしまうんじゃないかと思います。

何もこれは人の話ということではなく、自分が発信する立場のときも文面だけで取り繕っているときがあるんだろうと思います。そして、そういう時はきっと、相手もその匂いを嗅ぎ取っているんだろうなと思うわけです。

ということで、「どうやって取り繕うか」を最初から考えてしまうときは要注意で、それよりも「どこに心を砕くべきなのか」ということを正面から考えるべきという、当たり前の結論にたどり着いた”2円メール”でした。

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ちなみに、こちらのサイトは、マーケティング・コミュニケーションなどの講座も持っているので、そこからこういうメールが送られてくるのは・・・本文にはちゃんと、所有しているのはオンラインポイントで、このポイントを活用して本や雑誌をお得に購入できる旨が書いてありましたけどね。

アイデアに行き詰まったら、時速9km以上で走ろう!

今日はちょっと小耳に挟んだランニングにまつわる話を。

企画に行き詰まったり大きな課題を抱えている時、走っていると思わず解決の糸口がひらめいて、忘れないように必死に指折り数えながら家まで帰るという経験がよくあります。

私にとっては、寝起き・シャワーと並ぶ3大ひらめきポイントとして定着しています(笑)

走ると脳が活性化する

これは何も私だけのことではないようで、脳科学的にもこれを裏付けるようなデータがあるんだそうです。

大脳生理学の世界的権威である久保田競先生がおっしゃっていることだそうですが、時速9km以上で走ると脳が活性化するみたいなんですね。

時速9kmということは6:40/kmなので、それほど速いスピードではありません。多くの人が余裕をもって走れるぐらいの速度ですね。

脳にとっては走ることと考えることは同じ

久保田先生曰く、

・時速3km(ゆっくり歩く): 脳の運動野が活性化
・時速5km(早歩き): 脳の運動前野が活性化
・時速9km(ゆっくり走る): 脳の前頭前野が活性化

ということで、歩いている場合は、体を動かしているわけだから、脳の中でも運動に関する部分が動き出すのは自然なことです。しかし、走り出すと前頭前野までが活性化するんですね。

前頭前野とは、人の思考や学習を司る部分です。つまり脳にとっては、走ることと考えることは、同じことだということです。

走る量が多くなるほど、脳細胞の数が増え、海馬が大きくなっていくというデータもあるそうです。

チョークを持って走るのもいいかも!?

この久保田先生なんですが、ご自身も走られるそう。もちろん先生も走っているとひらめいちゃう。

だから、チョークを持って走るそうなんです。そして、ひらめいたらその場で道路にそのアイデアを書いてしまうそうです。

そうすると、帰り道にもう一度そこを通るときに見て思い出すので記憶に残りやすいみたいです。実に脳科学者らしい発想だと思いませんか? でも、帰り道にひらめいちゃったらどうするんでしょうね(笑)

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というわけで、アイデアに行き詰まったときには、ぜひ走ってみてください!

これはランナーとしてだけでなく、企画マンとしてもおすすめです!!

運動に自信がない人でも、やればできるのがエンデュランス系。

本日でトライアスロン合宿が終わりました。3日間高校の部活並みに練習!

最終日の今日は、早朝の軽いジョギングのあと、みっちりとバイクの練習で、これまで経験したことのない90kmを走りました。道沿いには桜も咲いていたんですが、直後の坂登りがきつすぎて記憶もあいまいです…

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早朝ジョグの景色。海沿いを走るのは気持ちいいですね。遠くに富士山も。

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ということで、この連休はラン・バイク・スイム漬けだったわけですが、最近はこういったエンデュランス系の競技って”宇宙飛行士の訓練”みたいなものかもと思うようになりました。

エンデュランス系というと、めちゃめちゃ逞しい人しかできないイメージがありますが、実際は逆なんじゃないかと。

長距離の場合、運動神経や筋力も当然求められる要素ではあるものの、それよりも訓練や準備をしっかりしている方が最終的には速いからです。つまり、その人の運動に対する資質とか体格といった要素が影響する部分が、他の競技と比べて相対的に低いのではないかと思います。

マラソンやウルトラマラソンのレースでは、いかにも体力に自信のありそうな若い男性を、体格では半分ほどのおばちゃんが後半戦で颯爽と抜いていく光景を頻繁に見かけます。今回の合宿でも性別や体格に関係なく、速い人はやっぱり速いということを痛感しました(もちろん、屈強で速い人もいますけどね…)。

それは、距離が長くなっていくに従って、運動神経や年齢・性差による筋力差が占める割合が薄まっていくからだと思います。

つまり、長距離種目の最後の方になればなるほど、運動神経や筋力が及びにくいという意味で、宇宙とか深海で競技をしているようなものなんだと思うんですよね。宇宙空間だったら筋力とか、あんまり関係なさそうじゃないですか?その代わり、誰でもやればできることを、しっかり身につけ、どれだけ忠実に淡々とやり切ることができるかが大事ということです。

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宇宙飛行士にも、体力訓練はもちろんあります。でも、それよりも、地道に操縦や作業の手順を習得し、無重力状態での作業など宇宙飛行士になるための訓練をちゃんと受けた人じゃないと宇宙飛行士にはなれません。

ちゃんと”そのための”訓練をしているかどうか。
ちゃんと”そのための”準備をしているかどうか。

これが何より大事というわけで、だからこそどんな人でも、いくつになっても楽しめるところがこういった競技の魅力なんじゃないかと思うのです。

ちなみに、宇宙飛行士になるための身体的な条件としては、身長158~190cm、体重50~95kgだそうです。かなり幅広いですよね。少なくとも体格はそれほど重要な要件ではないということなんでしょうね。

それはトレーニング?それともプラクティス? トライアスロン・レジェンド宮塚さんに学ぶ。

昨日からトライアスロン合宿に参加しています。

2ヶ月前に挑戦を決め、まだレースデビュー前の身ですので、参加メンバーの中でも一番の初心者軍団として必死にくらいついています。

トライアスロン・レジェンドの教え

その合宿のコーチ 宮塚英也さん(トライアスロン界のレジェンドと呼ばれる方)が口を酸っぱくして言われているのが、筋肉に頼らないということです。

「身体を鍛える」という言葉からまず連想するのは、一般的には”筋力を鍛える”ということでしょう。しかし、このコーチに限らず、長距離系の種目のコーチが共通して言っているのは、やはり「いかに筋肉を使わないか」ということ。

筋力に頼るような身体の使い方をしていたら、長時間・長距離動き続けることはできないからです。だから筋力を鍛えるとともに、「できるだけ筋肉に頼らない身体の使い方を身につける」ことが大切になってくるというわけです。

<トレーニング>と<プラクティス>

コーチはそのことを、<トレーニング>と<プラクティス>という言い方で区別していました。

前者は負荷をかけて超回復によってさらに強い身体をつくるために行うことですね。後者は、よりよい身体の使い方を身につけるための技術練習です。

トレーニングはやり過ぎるとオーバートレーニングになるから、練習は週5時間で十分。3週間しっかり練習したら1週間休む。しかし、プラクティス、つまり技術練習は毎日やっても大丈夫だし、短い時間でもやった方がいい、とのこと。

筋力に自信がある方ではないので励みになる一方、普段の練習が<トレーニング>なのか<プラクティス>なのか、または両方を同時に行っているのか、ひどく曖昧にこなしてしまっていることを反省した合宿二日目でした。

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コーチは「筋肉に頼らない!」と言う割には、ご本人はかなりいい体をしています…何事もバランスですね。

<トレーニング>と<プラクティス>という区別については、仕事についてもチェックすべき観点だと思います。量稽古が必要な時もあれば、頭を使って効率化・最適化すべき仕事もありますので。

明日は合宿最終日で、これまで乗ったことのない距離のバイクトレーニングが予定されてます。明日も何とか楽しくがんばります!

3連休トライアスロン合宿へ。”得意なプレイ”を探してきます!

ただいま、初めての輪行中です。

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初めてのときは、とにかく余裕を持ってスケジュールを組むのが大人としての基本ですが、基本ほど忠実に遂行するのが難しいものはありません。

集合場所まではバイクで向かったんですが、輪行用のホイールバックを家に忘れて取りに帰ったり、50Lの荷物を背負いながらで思いのほかスピードも出ず、挙げ句の果てに道にも迷いました。

色々ありましたが、全部足して大遅刻…

仲間を大幅に待たせてしまった上、合宿参加の皆様もお待たせすることに。反省しながらblogを書いております。あとでメモ書きしながらさらに深く反省しておきます。

ということで、2週間後に控えた初トライアスロンレースに向けて、3連休は千葉・南房総で開かれるトライアスロン練習合宿に参加してきます。

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何かの本で読んだところによると、試合本番前には得意なプレイの練習をするといいそうです。

試合は、技術が半分・心が半分。

技術は、本番直前に練習しても急に身に付くものではないし、それよりもう半分の心を整えるために、自信をつけるための練習をすることが大事ということ。

トライアスロンに関しては、元々やっていたランはともかく、スイムもバイクもまだまだ始めたばかりで苦手意識が強いです。トライアスロン挑戦を決めてから2ヶ月で、すべての技術を習得しようというのはさすがに無理というもの。

なので、今回の合宿では、それぞれの種目で部分的にでも得意だと思えるものを習得することが目標。スイムなら息継ぎが楽にできるとか、バイクならビンディングをはめるのが速いとか、ほんとに何でもいいんですけどね。

とりあえず、バイクで現地集合は苦手だということを痛感したので、得意なことを探します…

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ちゃんとした合宿は、高校のときのバスケ部以来かも。ハードそうですが楽しんできます!