第24回チャレンジ富士五湖112km(超ギリ)完走記②

先週末に参加した第24回チャレンジ富士五湖112kmの完走記その2です。

これまでのエントリは、こちら。

第24回チャレンジ富士五湖112km(超ギリ)完走記① | reboot blog

起床~スタート

当日の朝は2時半に起きて、すぐに朝食です。4:30が112kmの部のスタートなので、早朝(というか深夜)起床です。前の晩は、夜9時には寝ましたが、それでも眠い・・・

フルマラソンの場合は、レース中エネルギーが切れないようにと、当日の朝にたらふく餅を食べたりするんですが、ウルトラマラソンは長丁場のため、朝食でいくら食べたところでどっちみちそれだけではゴールまでもちません。なので、エイドとドロップバッグに期待しつつ、いつも通りおいしく宿の朝食をいただきました。

今回一緒に来ている同じ部屋の仲間二人は72kmの部に出場で出発時間が遅いため、起こさないように暗闇の中で準備を整え、ストレッチをしてからシャトルバスで出発。前日の夜に荷造りしておいたスタート会場で預ける荷物・一つ目の着替えポイントに置くドロップバッグ・二つ目のドロップバッグを持っていざ出陣。

会場につくと、暗闇から次々と集まってくるランナーたちのシルエットが・・・
140427 1 会場

前の晩、宿のご主人から天気は回復に向かうと聞いていたものの、当日の朝は霧雨で100m先も見えないぐらい。それにしても寒い。それなりのスピードで走る人にとってはいい気温かもしれませんが、寒いとヒザが痛むことが多いのでかなり不安…

結局、前日に現地入りした時から雨が降り止むことはなく、気温もまったく上がらず。受付会場ではいくつか用意されていたストーブの周りにずっと人が集まっていたし、説明会を待つ体育館の床は冷たかったっす(泣) あまりに寒いので、予備で持って来ていた二枚目のランニングジャケットも重ね着して走ることに。

暑くなったら第一関門で脱ぎ捨てられるし、と思っていたものの結局最後まで着て走ることになるとは。持って来といて本当によかった。多少荷物が増えようとも、不安要素は一つでも消しておくのが大切ですね。

ドロップバッグを預け、トイレに並んでいると気付いたらスタート2分前!余裕で並んでいる人たちは100kmの部なのね。というわけで、暗闇の中、小走りで競技場のスタートラインへ向かう。100km走るんだから、数百メートル増えたところで変わらないか〜と思っていたら、カウントダウンが始まり、スタート前から本気ダッシュ。ギリギリで最後尾につくことができ、長い長い108km*の旅が始まりました。どんな一日が待ってるのか、想像も尽きません!

*残雪の影響により、本栖湖一周の本来のコースから途中で折り返して戻る108kmのコースに変更されました。

140427 2 Start

スタート@0km〜山中湖入り口@13.2km

半年ぶりのウルトラマラソンですが、

「行ってらっしゃい〜!」

で送り出してもらうのがうれしいですね。そして、

「おかえりなさい!」

と迎えてもらう、”ロングジャーニー感”がウルトラの醍醐味だなあと思います。

今回は、疲労が全然抜けていない上、苦手な寒さの中でのレース。しかも、初めての100km超えということで、制限時間内にゴールできればよし!という目標設定。とにかく長丁場だし急いだら早く終わるという距離でもないので、慌てずただ淡々と走ることを決めて進みます。

競技場を出ると、辺りはまだ真っ暗で、暗闇の中を進みます。気を抜くと側溝に落ちそうになる(笑) しばらく森の中の道を進むと、ゆるい下りが延々と続きます。ウォーミングアップにはちょうどいいけど、下った分がすべてゴール前の急登になるんだと思うとちょっと萎える・・・でも、先のこと過ぎて想像が及ばない。陽が登って(雨だけど)また沈む頃には帰ってこれるといいなあ。
140427 3 第1エイド付近

前もほとんど見えない暗闇に下り坂。帰りの登りも暗闇でした(笑)

ここから富士五湖すべてを回る112kmの部は、第一の湖山中湖へ向かいます。ようやく明るくなってきた頃、国道138号線(旧鎌倉往還)の掲示板で現在の気温が0℃という表示を見て萎える。どおりで寒いわけだ。寒すぎてトイレも進み、序盤は公衆トイレを見つける度に立ち寄ってました。この頃はまだ時間的にも余裕があったなあ。

ここを走っている頃、30分後にスタートしている100kmの部第1ウェーブのランナーたちに次々と抜かれていきます。トップランナーは速いし軽装。速い人は9時間切って戻ってくるんだろうな、などとのんびり考えていたら、あっという間にさらにその15分部に出発した100kmの部第2ウェーブのランナーたちにも抜かれて行く・・・しかし、ここは我慢です。あくまで目標は時間内の完走ですから。

しばらく走ると少し視界が開け、ようやく山中湖とご対面です。ちょうどその入り口に第3エイド@13.2kmがありますが、それを目前にして信号待ち。

信号待ちがあるんですよね、ウルトラは。長距離・長時間に及ぶウルトラで完全に交通規制するのは実質的に不可能です。だから、チャレンジ富士五湖でも道路の真ん中を走ってはいけないし、信号があれば止まって待たなければいけません。

そういう意味では、去年秋に走った白山・白川郷ウルトラは、コースの大半を占める白山スーパー林道を完全に閉鎖してランナーが走れるので、格別の体験でした。普段は車しか通れないここの景色をゆっくり眺めたいと思ったら、ウルトラマラソンに参加するしかないんですね(笑) 普段ゆっくり楽しめない景色を楽しめるのがマラソンのいいところでもあります。だから、行ったことのない土地のマラソンに参加するのが好きなんです。

ともあれ、富士五湖で一番大きい山中湖に沿って、ここからの10km以上を進むことになります。

(その3へつづく)

ニコニコ超会議3に行って反省した”マーケティング病”。

前のエントリから「チャレンジ富士五湖完走記」を書き始めたばかりなんですが、さっそく中断です(笑) 実は昨日、ニコニコ超会議3に行き、新鮮なうちに書いておきたいなと思い・・・

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今回3回目となったニコニコ超会議は二日間で約12万5000人が来場したそうです。去年も行ったんですが、毎年参加者が増えています。3年目ですでに、日本最大のロック・フェスであるFuji Rock Festivalと同じくらいの規模にまでなったということですね。

ニコニコ超会議3 公式サイト たくさんのご来場・ご視聴ありがとうございました。 2014年4月26,27日 幕張メッセ

これだけ人気のニコニコ超会議、行ったことがないと何が楽しいのか分からないかもしれませんが(笑)、まあ楽しいです。「割と本気な文化祭みたいなもの」とでも言えばいいでしょうか、とにかく雑多で面白いです。

「全員主役。」のキャッチフレーズ通り、参加者も思い思いの方法で楽しんでるんですよね。

中でも今年の目玉は、何と言っても大相撲超会議場所。本物の土俵と本物の力士を幕張メッセで見られるなんて(笑)
140426 1 ニコニコ超会議 大相撲
生で相撲を見るのは初めてです。土俵って意外とちっちゃいんですね。いや、力士がでかいのか。しかし、あのサイズでよくあれだけ動けるもんです。

それから、年末年始にニコニコ動画で生中継されたダイオウグソクムシ。こちらは、以前このブログでも紹介したんですが、今回はそれを生で見ることができました。うーん、でかいダンゴムシですね。全然動かないけど、見た目がガンダムみたいでカッコいいです。

140426 2 ニコニコ超会議 ダイオウグソクムシ
※ムシ嫌いの人のため、遠目からの写真にしておきます。正面はもっとカッコいい。

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これらもほんの一例で、こういうのがあちこちで繰り広げられてるわけです。

ちなみに相撲もダイオウグソクムシもすごい人気!相撲はずっとものすごい人垣だったし、ダイオウグソクムシは見るまで30分ぐらいの列に並びました(笑)

どちらも普通だったらなかなか興味を示すことはないかもしれません。ニコニコ超会議の最多客層は10代20代だと思うんですが、彼らの中で普段から相撲とかダイオウグソクムシの動向を追いかけてる人はかなりの少数派でしょう。でもこの会場では(ムシの方はニコ動で既にかなりの人気者ですが)どちらも超人気コンテンツです。

10代20代にとっての相撲やダイオウグソクムシに限らず、出会えていないだけの潜在人気コンテンツって他にも山ほどあるんじゃないかと思うんですよね。

そういうものはおそらく、「マーケティング」という名目で、お客さんを分類して(セグメンテーション)、狙うお客さんを絞り(ターゲッティング)、そのお客さんだけに効率的にアプローチするということに慣れすぎて、最初から広く世に問うことを放棄してしまってるんじゃないかと。

マーケティングがあまりにも浸透しすぎて、新商品・新サービスを企画するときには、すぐに「ターゲット・カスタマーは誰だ?」って言われてしまうんですが、まず問うてみて、刺さったところにより深く刺すってやり方だってあると思うんですよね。

モノで勝負していた頃ならハードウェア開発のための投資もあるので、確度を上げないといけないということはあっても、サービスやアプリケーションやコンテンツが付加価値の中心であることが多い昨今なら、なおさら柔軟に対応しやすいわけだから、とりあえず世に問うというやり方もありなんじゃないかと。

STP(セグメンテーション/ターゲッティング/ポジショニング)ももちろん大事なんですが、たまにはそこから離れてみると、ドラッカーの言う「予期せぬ成功」が生まれたりするんじゃないかなと、反省したニコニコ超会議でした。

第24回チャレンジ富士五湖112km(超ギリ)完走記①

こちらのブログでもちょこちょこ触れてはいたんですが、先週末に第24回チャレンジ富士五湖112kmに挑戦してまいりました。

ようやく筋肉痛も落ち着いて通常生活が送れるようになり、少し余裕も出てきたので、ここらへんで振り返ってみたいと思います。(ウルトラマラソンは、振り返っただけでも長くて重いので、余裕がないと振り返れない(笑))

チャレンジ富士五湖  Home

結果はと言うと・・・

制限時間14時間30分のわずか2分45秒前、14時間27分15秒でなんとか完走!
自分の戦績の制限時間ギリギリ記録を更新しました(笑)

去年の第1回白山・白川郷100kmウルトラマラソンに続く、二度目のウルトラマラソンだったわけですが、楽しさよりも苦しさに焦点が当たりっぱなしで、精神的に相当堪えたレースでした。

これまでも、初マラソン、初ウルトラマラソンはもちろんのこと、ラン歴3年ちょっとの若輩者なりに苦しいレースはたくさん経験してきました。

ヒザの故障で10km以上歯を食いしばって歩き続けたマラソンとか、激しいアップダウンで腿を破壊され、這いつくばるように制限時間7分前にゴールしたトレイルとか、初めて泳ぐ海が大荒れで本当に溺れかけた初トライアスロンとか、思い出しただけでも思わず呼吸が荒くなる・・・

しかし、その中でも、7時間以上も関門と闘い続けた今回のウルトラは、もしかしたら、今までで一番つらかったかも。

たぶん、一緒に72kmの部に出場したラン仲間がいなかったら完走してなかったし。
たぶん、残雪の影響のコース変更で108kmになってなかったら完走してなかったし。
たぶん、ドロップバッグにピーナッツコッペパン入れてなかったら完走してなかったし。
たぶん、たぶん、たぶん・・・

と、完走できた理由を掛け合わせていくと、かなりの倍率をくぐり抜けてのことであったと自覚しております。感謝です。

一方で、もし完走していなかったら言い訳にしたくなっただろうこともたくさんあって、

月間走行距離200kmが完走の最低ラインと言われるウルトラで、毎月200kmどころか年明けから全部足しても200kmの半分も走れてないし、走れていなかった原因であるヒザにとっても、最高気温でも5℃前後という気温の低さは大きなマイナス要因。さらには、2週間前の初トライアスロンで精神を消耗し、1週間前のトレイルランで脚を消耗し、残っているのは上半身だけというコンディションでのスタートだったり。

こういうことは、たしかに実際に走りに影響を与えていることもありますが、それよりもリタイアの口実に使えてしまうことが、その誘惑との闘いを辛くするのです。

言い訳したくなるぐらいのことが多かったからこそ走るのが辛かったというより、その言い訳を使って走るのを止めようとする気持ちと闘うのが辛かったってことです。今回のレースを一言で言うと、そういうことです。

でもせっかくだし、一言で片付けずに、次のエントリからもう少しちゃんとレース展開を振り返ってみたいと思います(笑)

健康志向の海外セレブに人気というコレを見て、和式を見直した!

「squatty potty」という商品をご存知でしょうか?

どうも健康志向の海外セレブに人気の一品とのこと。よほど英語に堪能でないと、なかなか見慣れない単語でどんなモノか想像もできないかもしれません。

「potty」というのは、実は「おまる」という意味。そして、この商品には「healthy colon:happy life」というショルダーコピーがついてるんですが、この中の「colon」は「大腸」という意味です。

はい、おトイレ用品です。こちらの動画を見ていただくのが分かりやすいですね。

お分かりのように、極めて単純な商品で、洋式トイレの足元に置くだけの台座のようなものです。

たったこれだけのシンプルなものなんですが、足の位置を持ち上げることでヒザをお尻より高い位置に持ってくることができ、直腸の角度が踏ん張るにあたって(?)最適な角度にすることができるそうです。

140424 1 squattypotty
(公式サイトより。いい笑顔ですね!)

で、このスタイルですが・・・これって和式!?ですよね。洋式トイレでわざわざ足元持ち上げなくったって、ぼくらには和式トイレがありますけど!?

海外セレブが健康にいいと注目するはるか昔から、日本人は”ベストポジション”を知ってたってことです。和式トイレを見直しましたよ。どういう成り立ちで和式トイレが普及したのか、その辺の事情は詳しくないですが、きっとそのスタイルが悪くなかったからこそ、長きに渡って活躍していたんだろうなあと。

何でもかんでも和式に回帰しよう!なんてナイーブな考えを持っているわけではありませんが、何の考えもなしに洋式を選択していたところは、もう一度、吟味し直してみてもいいかもしれませんね。

自己紹介のない社会ってのが来るかもしれませんよ。

自己紹介のない社会ってのが来るかもしれません。

なんてことをちょっと考えてみました。

初対面で、名刺を交換しながらお互い名前を名乗り、名刺の表と裏を確認して記憶のとっかかりや会話のきっかけを探したりするあれ。

会議でも、飲み会でも、趣味の場の集まりでも、偶然そこに居合わせただけのつながりでも、仕事でもプライベートでも、初対面では自己紹介が欠かせません。名刺こそ出さなくても、似たり寄ったりの展開でしょう。

でもよく考えたら、自己紹介ってけっこう非効率な情報交換だと思いませんか?初めて会った人のことを立て続けにインプットされても、こちらはまず顔と名前を覚えるだけでも精一杯。

だからこそ、何か引っかかるものを提供しようと、あれやこれやとまた情報を出してくれるんですが、「まだ、顔と名前が一致してませんので、ちょっと待ってください」という訳にもいかず、「あなたのおっしゃっていること、全て覚えてますのでご安心を」といった表情で、うんうん頷きながら話を聞かざるを得ないわけです。結局なにも覚えていないのに。

そこで、記憶力が弱く、営業にも全然向いていないであろう私は思うのです。ぶっつけ本番の自己紹介なんて、なくなってしまえばいいのに!と。

だって、採用試験ではすでにそうなってますよね。エントリーシートがあって、面接官はこれから会う人の素性や履歴や、簡単ではあるけれどどんな考えを持っている人なのか知っているわけです。エントリーシートを読んでいるところで初対面は完了していると言ってもいいかもしれません。

採用試験におけるエントリーシートに限らず、もう十分、対面で初対面を迎えなくてもいい時代になってるんではないかと思うんですよね。

傍証①:車を購入するまでの来店数が減ってるらしい

車を買うときは、ディーラーに足を運び、どんな車がいいとか、この車の特徴はなんだとか、セールスの方の話を色々聞いて、車種を選んだり、色を選んだり、オプションを選んだりしますね。

もちろん、ディーラーに行けば、展示されている実際の車も観ることができます。車種によっては試乗ができるものもありますので、これが大きな来店動機になっているのは間違いないでしょう。

それで、車を購入するまでの来店数ですが、最近聞いた話によると、以前は平均7回来店して初めて購入に至っていたのが、今は平均1.5回だそうです。

お店に行かずに買うという方はさすがにほとんどいないと思うので、1.5回ということは、行ってその場で購入を決める人(1回)と、一度は下見に行くけど次の来店で決める人(2回)が多いんだろういうことは分かります。

お分かりだと思いますが、かつては情報収集から機種の選定までディーラーに行かなければいけなかったところが、情報はWebですべて入手できるため、最後の確認だけをディーラーでやるようになっているようです。

相手は車ですが、この例も初対面はwebで済んでしまっているということですね。

傍証②:合コンで会う前にFacebookで友達になるらしい

先日学生と話していたら、合コンがセットされた時は、その会で会う前に参加予定者同士がFacebookで友達になるのは当然だそうです。

Facebookでは、各個人の運用ルールがあるので人それぞれではありますが、私の周りでは、面識があるかないかを友達申請を許可するかどうかの一線にしている人が多いので、ちょっと衝撃的だったんですね。

理由を聞くと、

「だって、事前にどんな人か知らないと、当日の話のネタに困るし、話も盛り上がらないじゃないですかぁ?」

だそうです。うん、まあ言われてみればその通りなんですが…そもそもFacebookには、他の人に見られて困るような情報も上げてないし、むしろ自己紹介になるので、見てもらって困ることはない、と。

だから、初めて会うにも関わらず、お互いがお互いのことをある程度知っているのが前提になって会話が進むのだそうです。

これが、どれくらい当然で、すべての学生が同じようにしているのかは分かりませんが。

***

「初対面で相手の気持ちを掴むには〇分以内が勝負!」といった文句は巷にあふれていますが、そういう時代ではなくなるのかもしれません。

これまでは、好感のもてる見た目で、しゃべるのが上手で、その〇分以内という短時間で自分の魅力をしっかり伝えられる人が、自己紹介の上手な人でした。

でもこれからは、自分の伝えたいことを、自分の伝えたい方法でしっかり表現するメディアを持っている人が、自己紹介の上手な人になるのかもしれません。車のモデル紹介やFacebookは、すでに自己紹介として機能しているということですね。もちろん、ブログもそのツールの一つでしょう。

口下手でも、きちんと伝えられる文章を書けたり、センスのよい写真を撮れたり、画で自分を表現できたり、歌だったり踊りだったり、もしかすると走ることだったり。

自己紹介の幅はもっともっと広がるかもしれませんね。そしたら対面の自己紹介はなくなるかもしれません。

初めて会う前から相手の人となりと共通の話題が分かっていて、会ったそばから本題で盛り上がる。そんな時代がもうすぐ来るかもしれないなあ、という半分真面目な妄想でした。

おんなじ歯磨き粉をもう一個買ってきちゃった話。

ささやかながら衝撃的だった出来事の報告です。とてもささやか。

私は、会社でもランチの後に歯磨きをするので、オフィスに歯ブラシと歯磨き粉を置いています。その歯磨き粉がなくなりかけだったのを思い出し、ドラッグストアに寄ったついでに買ったんですね。

その時の頭の中は、大体こんな感じでしょう。

「あ、歯磨き粉買っとかないと」

「せっかくだから、家で使ってるのとは違うのを試してみようかな」

「仕事中はコーヒーよく飲むから、ステインクリアのやつがいいかも」

「変な味のやつは嫌だから、一番シンプルなやつにしよう」

「フタ回して開けるの面倒だから、スタンディングチューブにしよう」

それで一つ選んで買って帰り、デスクに片付けようと思ったら、見事に全く同じ未開封のものが引き出しから出てきました…

おーーーーーーーーーい、自分。

単に買い置きしておいたことを忘れているだけならいいんです。

でも、全く同じってのは・・・

たぶん、その時も全く同じ思考回路で、全く同じ順番で考えてそれを選んだんでしょうね。

きっと気付いてもいないけど、ただただ埋め込まれているプログラム通りに思考していることって結構あるんだろうなと思うわけです。

そして、それはかなり残念なことです。なぜなら、自分では、自分の頭で考えたつもりになってしまっているから。

新しい思考回路が作られないという状況に陥っているのに、同じ思考回路をたどっていることすら気づかず、自分では考えた気になっている。これでは、その回路から抜け出す術がありません。

確信的に同じ思考回路を使っているのであれば、それは「判断基準」と呼ぶべきものです。しかし、無自覚なのに、なぜか毎回、結果的には同じ歯磨き粉を選んでしまうのは「思考停止」です。

この二つ、現象として起こることは一緒なのに、持ってる意味は大きく違います。

みなさんも、「あれ、何かまたこれ買っちゃった〜」なんてことがあったときには、自分が思考停止してないか、見つめ直した方がいいかもしれませんよ。

当分は、この歯磨き粉で歯磨きするたびに思考停止について反省します(笑)

"筋肉痛"というありがたいフィードバックシステム。

週末に走ったチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの筋肉痛が、ようやく和らいできました。

といっても、かろうじて、他の人に脚を引きずっていることを悟られずに歩くことができるレベル・・・ウルトラはフルマラソンと比べても、各段にダメージが大きいです。

頭が働けば仕事はできるんですが、心身は切り離せないもので、弱った体にペースを合わせるように仕事も低調です(笑)

***

そんな状態で改めて思うのが、筋肉痛というのはとてもありがたいフィードバックシステムだということ。

ウルトラの後なんかは、ほぼ全身筋肉痛になるので、自分の体なのに自分の体じゃないみたいな状態。それが、本当に筋繊維が破壊されているからなのか、感情的なものなのかはわかりませんが、ちょっと体に距離を置かれた感じで寂しいです・・・前日には一緒に死闘を演じた盟友のはずなのに。

そんな、ちょっと客観的な状態というのが、筋肉痛をフィードバックシステムとして成立させているのかもしれませんが、使っているけど、足りない筋肉というのが一目瞭然(見えないから、一感瞭然?)ですよね。

筋肉痛も一種のデータだとすると、他のデータと同様に、解釈とか分析を経てはじめて価値を持ちます。

     「使うべき筋肉が使われていたけど、鍛え方が足りなかったのか?」

とか、

     「本来は使うべきじゃないのに、どこかをかばっているために筋肉痛になっているのか?」

とか、

フォームを改善すべきなのか、筋肉を鍛えるべきなのか、など筋肉痛データをもとに、これからのトレーニングプランに役立てるのがいいでしょう。テストでできなかったところは、復習するのが学力アップには必須なように、走力アップには筋肉痛になったところを克服する必要があるのです。

レースだと、限界まで追い込まれるので、筋肉痛にならないことなんてそうそうありませんし、終わりのない闘いではありますが(笑)

***

一方で、こういう仕組みは、知的な部分や精神的な部分に組み込むのはなかなか難しいです。

人間が賢くできすぎているのか、心の痛みに関しては、自分を正当化してごまかしてしまいがちです。明確な痛みを与えて改善のための注意を引く肉体における<筋肉痛的>アプローチではなく、精神面では<麻酔的>アプローチでその場しのぎになってしまいがちです。

だから、”麻酔”が効き始める前に、小さな心の痛みとか、恥ずかしさとか、嫉妬とか、そういう直視したくないようなネガティブな感情を見逃さず、それを心の筋肉痛のように受け取る事ができるということが、とても大事になってくる気がします。

心も筋肉痛みたいな、素直なフィードバックの仕組みがあるといいんですけどねえ。

「manage」という言葉のあいまいな意味にプロ仕事を感じる。

中学校か高校で「manage」という単語の意味を教わった時、この言葉のあいまいな意味がとても好きになりました。

たしか、その時は不定詞(懐かしい!)か何かの章で、「manage to -」は「なんとか-する」という意味なんだよ・・・という風に習いました。

当時「マネージ」という言葉で連想するものと言えば、部活動で水やタオルを笑顔で渡し、合宿で選手のお世話をしてくれる、あの「マネージャー」の甘酸っぱいイメージしかなかったため、そんな意味があるんだととても印象的でした。

「マネージャー」という言葉に、企業の経営者・ホテルの支配人・チームの監督など、組織の中のえらくて責任のある人という意味があると知ったのもこの時です。

***

当時は「なんとかする」って何やねん、とそのあいまいな意味に戸惑ったものですが(あいまいなものは暗記しにくいからでしょうね・・・)、今となっては、その具体性のなさが、手段ではなく目的にフォーカスしてるが故ということがよく分かります。

目的さえ達成すれば、手段は何でもいいという、目的志向を体現するような言葉だと思うんですよね。

前のエントリの、<捕殺数>ではなく<進塁抑止数>というのも、手段ではなく目的にフォーカスしていると言えます。

改めて調べてみると、

     〔困難な中で何とか〕~を成し遂げる[やりくりする]

という意味だそうです。まさに、ですね。この意味では、結果にしか言及されていません。とにかくやるんだという、責任感がありますね。「Manager」という言葉も、「管理する人」と解釈されることもありますが、「なんとかする人」という意味で解釈した方がしっくりきますね。

***

そんなことを、昨日14時間27分に渡る108kmのウルトラマラソンチャレンジの中で考えていました。

経営者や支配人のような責任はないにしても、それと同じような「なんとかする力」を養うために、こういう極限状態に身を置いてみているというのも、チャレンジの理由の一つ。

制限時間まで残り2分45秒という、本当にギリギリのゴールでしたが、その分「なんとかする力」がついているはず!

そう思わないと、この歩行も困難な状態で仕事をしている体がかわいそうなので(笑)

「捕殺数は少ないほどいい」という言葉にプロ仕事を感じる。

ちょっと調べものをしていたら、ハッとする言葉に出会いました。

「捕殺数というのは、少なければ少ないほど誇れる数字なんです」

ゴールデングラブ賞を9度受賞している西武ライオンズの名外野手、平野謙選手の言葉です。

野球に詳しくない方のために補足しておくと、この場合の「捕殺」というのは、ヒットや外野フライなどで進塁を狙う走者を返球によって刺すプレーのこと。

イチローの返球は、「レーザービーム」と言われ、そのシーンだけハイライトで流れていたりしますよね。外野手にとっては、腕の見せ所であり、ファンにとってもホームベース上のクロスプレーは大きな見所でもあります。

そんな捕殺が少ない方がいいって??
多い方がもちろんすごいでしょ!?

って思ってたんですが、平野選手の考えは違うようです。

ランナーが次の塁を狙って走ってくるのは、当然間に合うと思っているからで、その時点で甘く見られているということなんだと。

自分のところにボールが転がったら、最初から進塁は諦めてくれるのが理想だってことだそうです。

おお、なんかこの考え方、すごいプロっぽい感じがする。

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実際、平成元年に自己最高の年間21捕殺を記録したのを最後に、翌年は10、さらにその翌年は5と、記録上は半減していったらしいです。

でも、その裏で阻止した数字に表れない進塁は、もっともっと増えているんでしょうね。あえて言葉にすれば、「進塁抑止数」とか「進塁自粛させ数」とでも言えるものの数は、ぐんと減っているはずなんですね。

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あのヤクルトの名捕手、古田選手もこんなことを言っていたそうです。


「阻止率より、盗塁企画数そのものが減って、誰も走ってこなくなるのが理想だ」


同じですね。これが名手の考え方。なんて浅い野球の見方をしてたんだ、自分。

自分の手柄よりもチームへの貢献を大事に考えるとも言えるし、表面的な効果ではなく実質的な効果を狙うとも言えます。

そもそも、本当のプロにとっては、管理しているKPIが違うんですよね。<捕殺数>ではなく<進塁抑止数>、これがフェッショナルの思考なんですね。

自分の仕事にとって何が”捕殺数”で、何が”進塁抑止数”なのか、考えてみるといいかもしれません。

“フロー”である時間を、”ストック”に換える方法。

最近ソニーが、デジタルビデオカメラHandycamのプロモーションで、「きみとの1000日を、ずっと」というキャンペーンをやっています。

きみとの1000日を、ずっと。 デジタルビデオカメラ Handycam ハンディカム | ソニー

子どもの成長記録といえば

生まれてから1000日間で、あっという間に成長していく子どもの姿を、ビデオカメラで記録しようという趣旨です。

私のまわりにも、小さな子どもがいる友人・知人がたくさんいるので、このビデオを見て思わずほっこりしてしまいました。

子どもの成長記録と言えば、写真やビデオ。最近では、デジタル一眼で本格的に写真を撮っている人も多いですね。カメラ系は、子どもが生まれる前と運動会前に購入する方が多いんですよね。思い出に残そうと思い立つのは、そういったイベントのタイミングであることが多いからです。

でも、今回のキャンペーンが、いつもとちょっと違うなと思ったのが、「1000日」という時間軸を記録しようというところ。

毎日毎日、一分一秒子どもは成長していくものだし、イベントの日じゃなくても、日常のなんでもないことであっても、日々記録していくと、とても大切な成長の思い出になる、というのがいいなあと思ったわけです。

こうして記録しておくだけで、放っておけばただ流れていってしまう時間を、蓄積することができるんですよね。つまり、<フロー>である時間を、<ストック>に換える一番シンプルな方法は、「記録する」ってことだろうと思います。

大人の成長記録といえば?

そんな子どもと同じ時間を過ごしているはずの大人についてはどうでしょうか?

子どもの成長はとても嬉しいものなので、親や周囲の大人たちが一生懸命記録してくれますが、大の大人の成長記録は、自分自身でないと、誰もつけてくれません・・・

だから、もし自分が何もしていないとすると、ただ<フロー>な時間として、すべてが流れていってしまっているのかもしれませんね。

もちろん、記録に残っていなかったとしても、自分の中には体験・経験・知識・知恵といった形で、記憶や能力として何かしらの蓄積にはなっているでしょう。

でも、もしもう少し目に見える形でちゃんと蓄積しておくことができれば、さらなる成長のためのステップになったり、振り返って反省するための材料として、明確に活かせることが多くなってきます。

そんなこんなでブログも500日

そんな風に考えているのも、日記を1600日以上、ブログを500エントリ以上書き続けてみての感想です(実は、つい最近気付いたんですが、このブログもこっそり500エントリを超えていました。毎日更新しているので、500日を超えたということですね)。

毎日生活して、仕事をして、走って泳いで自転車に乗っていると、色んなことを考えます。それに一つ一つ形が与えられ、蓄積されているのが日記であり、ブログであるということですね。

大人にとって「書く」という作業は、自分を記録する上で最適な方法なのかもしれません。

一つ一つの中身としては、振り返るに値しないようなものも、もちろん多くありますが(汗)、大人の成長記録だって、必ずしも”イベントの日”だけでなく、毎日のささいなことから記録しておくことが大切なのではと思っています。

***

これもとても好きなCMです。10年単位で、振り返れるっていいですね。