ステレオタイプとブランディングについて考えてみた。

前のエントリに続き、もう少し「ステレオタイプ」について考えてみたいんですが。

思い浮かんだことを徒然と書いてるだけなので、お暇なときにどうぞ!

ステレオタイプなものの見方って減ってくよね

そのまんまなんですが、「ステレオタイプなものの見方」って、普通に考えたら段々なくなっていくはずだと思っています。

というのも、単純に情報の量も種類もどんどん増えているし、発信する人の数も立場もどんどん増えているので、ふつうの情報摂取をしていれば偏った見方や凝り固まった考え方がしにくくなってくるのが自然なのではと。

ステレオタイプな見方が成立するには、世の中に行き渡る情報が限られていることが大前提。もちろん、なくなりはしないんでしょうけど、相対的には減っていくのが自然であるように思います。

逆に言えば、それでも根強く残っているステレオタイプには、何か深い社会的なメカニズムや個人の信念があるのかもしれません。考察対象としてはとても興味深いです。

現代におけるステレオタイプ=ブランディング?

そんな情報社会の現代において(陳腐な表現ではありますが…)、意図的に偏った見方をつくろうとする活動を「ブランディング」と呼んでいるのかもしれません。

特定の物事に対して、社会全体にステレオタイプな見方が広まっている状態というのは、現代風に言えば、「ブランディング」がでてきている状態です。

そう言えるための条件は色々あると思いますが、たとえば・・・

・その物事のステークホルダーが意図的にその見方を広めている
・その見方はステークホルダーにとって好ましい

とか。

私が以前住んでいたイギリスは、「紳士の国」というイメージが確立しています。これ、もしイギリスという国が意図的にそう思われるように情報発信(と統制)を行っているとしたら、もうブランディングと言って差し支えないと思います。

同時に「料理がまずい国」とも思われています。実際のところ、近年はだいぶおいしくなったという声もよく聞くし、お金を払えばおいしい料理も食べられますが…

こういった不名誉なイメージは、たぶん意図した結果ではなく、過去からの実績(?)と意図せぬ情報漏洩(?)から自然にそうなってしまっただけだし、おそらく好ましいこととは思っていないと思うので(イギリス人も自虐ジョークネタとして使ってることもありますが(笑))、一般的にはステレオタイプと言われるものに分類されるでしょう。

ざっくり言ってしまえば、

・意図的にいいイメージをつくることができればブランディング
・意図せざる結果として悪いイメージが定着してしまえばステレオタイプ

と言ってるだけで、限られた情報を基に何かしらの情報判断をしているということ自体は、ブランディングもステレオタイプも対して変わらないことを言っているのかも。

ブランディングはいいステレオタイプをつくるための行動で、ステレオタイプはブランディングに洗脳された結果と言えるかもしれません。

***

なんて「ステレオタイプ」という言葉から、色々考えてみたわけですが、かなりゆるい定義で「ステレオタイプ」を捉えています。

情報発信ともつながりが深そうだし、まじめに考えてみると奥が深そうなテーマです。発信者と対象が一致しないこともあるし(他者のイメージを引き下げるためのデマとか)・・・

このテーマ、また書くと思いますが、今日のところはこのへんで。

ステレオタイプなものの見方をされるなら、それは情報発信不足のアラームかも。

先日ちょっとした飲みの場で、反省したことがあります。

それは、「ステレオタイプ」について。

ステレオタイプなものの見方をしてしまう理由

ステレオタイプなものの見方をしてしまうことってありますよね。

冒頭の飲みの場でも、「愛媛県は水道ひねるとポンジュースが出るんだよね」的なベタな冗談から、「B型はマイペースで気分屋が多い」みたいな、統計学的なもの(?)まで色んな話が。

紋切型の見方には、エスニック・ジョークのように、ときに偏見や風評被害につながりかねないようなものもあります。では、どうしてこういう見方をしてしまうんでしょうってことなんですが・・・

パターンA:思考停止している

一つはもちろん、そういう見方をしている人が、凝り固まった考え方しかできなくなっているからでしょう。本人の中で決めつけてしまっている状態で、そう信じているから仕方がない。

無意識的にそうなってしまっている場合が多いと思いますが、場合によっては知らない間に相手を傷つけてしまっていることもあるので要注意です(無意識なので注意できないところが厄介)。

パターンB:情報を補っている

もう一つのパターンは、ステレオタイプな見方をしていることには意識的だけど、それを受け入れていたり、確信犯的に活用している場合。よく知らない人との会話では、共通の話題が少なかったりするので、少ない手がかりで話を拡げるためにあえてこれを利用することがあります。

この場合、たとえば相手について「愛媛県」という手がかりしかなく、自分の中の「愛媛県」に関する手持ち情報が「みかんで有名」しかなければ、冒頭のような冗談を駆使して話を拡げようとしてしまうわけです。

こちらのパターンの場合、コミュニケーションの方法としては決して悪いわけではなさそうです。ただその拡げ方が稚拙な場合、「ステレオタイプ」と言われてしまうだけの話で・・・

ステレオタイプな見方をされてしまうとしたら・・・

それで、何を反省したかというと、ステレオタイプ的なことを言われてしまう時は、情報の出し手の方にも責任があるんじゃないかということです。

どちらのパターンにしても、ステレオタイプなものの見方をする前には、必ずそのことについてのインプットが存在していたはずです。そして、そのインプット自体が偏っていた、もしくは間違っていた可能性が高いわけです。

だとしたら、それはそういうインプットをしていた方にも責任があるだろうということです。

パターンAの場合は、これ以上のインプットは受け付けられないことが多いでしょうが、パターンBの場合は、コミュニケーションの手段として利用しているだけなので、挽回のチャンスがまだあるはずです。

「ステレオタイプ」は情報発信不足のアラーム

たとえば、「愛媛県」はかんきつ類だけでなく、産業で言えば今治のタオルや造船とか、有名なものは他にもたくさんあります。道後温泉とかしまなみ海道とか、すばらしい観光地もたくさんあります。

ただ、それよりも先に「ポンジュース」が出てくるとすれば、もしかしたら「タオル」や「造船」や「道後温泉」や「しなまみ海道」のアピールが足りないからかもしれません。

B型の人が、「マイペースで気分屋だよね」と言われてしまうとすれば、個人としてではなく、乱暴に「B型の人」と括られてしまう程度にしか自分の情報を提供していないからかもしれません。

つまり、「ステレオタイプ」は単純に情報発信が足りていない場合のアラームと考えてみてもいいんじゃないかと。

以前も別のエントリで書きましたが、情報発信のハードルはどんどん下がっています。初めて会う前にFacebookで友達になって、相手が事前に下調べしてくれたりもするわけです。

http://www.reboot-blog.com/blog/archives/806

これだけ情報があふれていて、誰でも情報発信ができる時代だと「ステレオタイプ」の意味合いも変わってくるんじゃないかと思います。それに、「ステレオタイプ」な見方をする人を責めるよりも、相手がステレオタイプな見方をしなくても済むようにインプットしてあげる方が建設的なのではないかと。

ちなみに、私は、「愛媛県」とか「B型の人」に特に偏見はございません。たまたま飲みの場で出た例を題材にしているだけですのであしからず・・・

ウルトラマラソンの精神論③:完走からバックキャストする。

職種・業種や、仕事・人生に共通して、とても重要だと思っている考え方の一つに<Backcasting>があります。

<Backcasting>という考え方

反対語は<Forecasting>。企画立案や未来の予測などにも活用できる考え方なので、「ものづくりベースキャンプ」の勉強会でも、ご紹介しています。

一言で言うと、

     ・Forecasting=現在を起点として「今できること」から考える方法

     ・Backcasting=「理想的なあるべき姿」を起点に巻き戻して今を考える方法

前者は<積み上げ>的な考え方、後者は<逆算>的な考え方とも言えます。

<Forecasting>のイメージは、伸縮式の指し棒です。手元からスルスルと伸ばしていくような感じです。一方<Backcasting>はといえば、おもりのついた釣り竿を遠くに投げてから手繰り寄せるという感じ。

あくまでイメージなので、しっくりこなければ忘れてください・・・

140526_1_Backcasting

ウルトラマラソンにおける<Backcasting>

そんな<Forecasting>と<Backcasting>ですが、ウルトラマラソンを完走するには、絶対に<Backcasting>の考え方で走ることが必要だと思っています。

走る時にどんな考え方の違いになってくるかというと・・・

     ・Forecasting=「とにかく行けるとこまで行こう。」

     ・Backcasting=「絶対完走。そのためには・・・」

「行けるとこまで行こう。」というノリで100kmを完走できるのは、200kmでも300kmでも走れるという、かなり余裕のある人でしょう。完走ギリギリランナーが「行けるか、行けないか」と自問自答したら、「もう行けない」という状況が頻発します。頻発というより、50km以降はそういう状況しかありません。

ウルトラマラソンは、体力の限界の範囲=「行けるとこ」に収まるレベルではないので、必ずそこを突破する必要があるのです。その時に「Forecasting」で考えている場合には、「行けるとこ」の壁で打ち止めということになってしまうわけです。

これは100kmじゃなくても、その人の走力に応じて42kmとか160kmとか違いはあると思いますが、考え方としては同じだろうと思います。最後まで行くつもりの人だけが、最後まで行けるし、逆にスタート地点で最後まで行く気がなければ、最後までは行けないということです。

ウルトラ完走のための練習法

毎度ギリギリとはいえ、ウルトラの中ではそこそこキツイと言われている野辺山100km、富士五湖112km、白山・白川郷100kmを完走している立場から、ウルトラを完走するために最も効果的な練習法を挙げるとすれば、

     ・最低でも5時間走

とか、

     ・月間走行距離200km以上を3ケ月

とか、

     ・峠走

とかではなく、

     ・毎回、自分でやると決めた練習を、絶対にやり切ること

です。

今日は10km走ると決めたら、絶対に10km走る。

峠走で登りは歩かないと決めたら、頂上まで絶対に歩かない。

今月は月間で100km走ると決めたら、月末は毎日走ることになっても走り切る。

ってことです。

これは、たぶん肉体面から見たセオリーには反しています。ケガしてるのに走ったら悪化するだけだし。走らない日も大事だとよく言われますし。でも、これは肉体を鍛えているわけではなく<Backcasting>という考え方を養っているわけです。もう少し大げさに言えば、精神と肉体を一致させる訓練とも言えるかもしれません。

フルマラソンを完走できるぐらいの走力がある人であれば、肉体の練習を積むよりも、精神の練習を積んだ方が、ウルトラにとっては効果的だと思うんですよね。実際、私は月間走行距離が200kmを超えたことは一度もありません(だから毎回完走ギリギリなんですが・・・)。

いずれにしても、「行けるところまで行こう。」と、「最後まで行くつもりで行く。」の違いは思いの外、大きなものです。そして、これは仕事においても人生においても、とても大切なことです。

こんな大事なことを、身体を通して学ぶことができるウルトラマラソンって、とっても素敵だと思いませんか?

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑧

先週末に参加した第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの完走記その8、総括です。

これまでのエントリは、こちら。

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記① | reboot blog

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記② | reboot blog

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記③ | reboot blog

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記④ | reboot blog

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑤ | reboot blog

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑥ | reboot blog

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑦ | reboot blog



リタイアせずにゴールまでたどり着くことができた要因分析

今回のレースは、何と言ってもヒザの爆弾との二人三脚の旅。

過去にも、30km地点から12km歩き続けたVenice Marathonとか、27km地点から片脚で走り通した館山マラソンとか、ヒザで苦しんだレースはありましたが(こんなことしてるからいつまで経っても治らないんでしょうが…)、それでもせいぜいフルマラソンの後半の話。

ウルトラの、それもわずか4kmで暴発とは自分のヒザながら大した度胸です。

そのフライング感は、3泊4日旅行の初日に告白してフラれるという、東京03のコントを思い起こさせます。

「4kmで痛くなるやつがあるか!まだ96kmあるんだよ!!」

そんな状態でも完走させてくれたのは、この3つがあったからです。総括として振り返ってみたいと思います。



(1) ロキソニン

まず、物理的にはこれです。これなかったら絶対完走してません。ただし、絶対におすすめしません。

しつこいようですが、もし使うことになった場合も、用法・用量(※)を正しく理解の上、服用しましょう。内臓が回復するまで一ヶ月はかかると言われているウルトラマラソンですから、ただでさえ尋常じゃない負荷が胃腸にはかかっています。追い打ちをかけるような判断をすべきなのかどうなのか、自己責任と自己判断で!

※一日2回までで服用間隔は4時間以上空けること、そして服用時は空腹を避けること、とのこと。ウルトラで使うことになる場合は、いずれの条件も満たせない状況であることが多いので注意。

ただし、痛み止めを使わないといけないぐらい追い詰められると、何をやって何をやらないと後悔するのか、自分の価値観とか基準が明確になって、それはそれでとてもいい経験だとは思います。

ちなみに、今回は後半につれて効きが悪くなっていったので(というより痛みが激しくなったんだと思いますが)、今後は10kmに一錠の配分で準備しようと思います。あくまでお守りとして、ですが!

(2) 前日に書いたブログ

前日の晩、宿でポストしたblogでこんなことを書きました。

     関門に間に合うかどうかは、関門が判断することで自分が判断することではない。

半分は、完走ギリギリランナーを自認する自分の決意表明&鼓舞する意味合いだったんですが、さすがに4km地点から関門との闘いが始まるとは思っておらず、それ以降の13時間半、自分自身が何度もこの言葉に助けられることになりました。

気合だけでは、本能には勝てません。本能の駆動力を、足を止める方向ではなく走り続ける方向に向けるための思考や思想を用意することが必要なのだと思います。

ブログでもFacebookでも、外に向かって公言してしまうと、「書いた手前、実践しなきゃ!」と、結局は自分に跳ね返ってくることになるので効果的です。

(3) 仲間

青臭いことを言いますが、走ることにおいても仲間は大事です。

ぼくは、どこまでいってもマラソンは一人で走る競技だと思ってます。伴走してても併走してても、自分の分の距離を代わりに誰かが走ってくれるわけではないので。

でも、その「一人で走る競技」を仲間たちも一人一人が闘っているんだと思うと、かなり頑張れるものです。前を走る仲間も、後ろを走る仲間も力をくれます。

だから、ウルトラに挑戦してみたいけど躊躇してしまうという人は、ぜひとも仲間と走ってみることをおすすめします。その人がウルトラを走ったことがあるかどうかは関係ありません。ただし、自分と同じくらい、完走することに本気の人と走ってください。

この完走記は、あくまでぼくの目から見た完走記で、仲間たちや参加したランナー一人一人にストーリーがあったはず。せっかくなので、今回一緒に走った仲間を紹介するとともに(便宜上、本レースの着順です)、ブログに完走記をつづっている仲間にはリンクを貼っておきます。



〇K兄さん

チーム最年長ですが、安定感の理由はそれだけではない。仕事も家庭もランもトライアスロンも、ぼくの知るあらゆる側面で盤石。

初フルマラソンでSub4を成し遂げているK兄さん、おそらく一度たりとも主導権を手離すことなく100kmを完封したことと思います。しかし、これは必ずしも楽勝だったことを意味するものではありません。

8月のアイアンマンに向け、トライアスロンへの挑戦を一緒に続けている仲間でもあるK兄さんは、チャレンジ富士五湖では72kmの部に出場(こちらも完封)し100kmへの足掛かりきっちり作りつつ、2週間前に行った足柄峠走もしっかりこなし、完走すべくして完走したのです。学ぶこと多し。

〇羅王選手

ラン仲間の中でも、85kg以上もしくは体脂肪率25%以上(もしくは骨格枠という、フレキシブルな入部条件もあり)の選手のみ入部が許されるDe部部長。

一緒にチャレンジしているトライアスロンやウルトラなどで数日をともに過ごすと、100km走っても体重が落ちない理由がよく分かる。力士と同じように、体作りのための食生活を努力の末、習得したのかもしれない。兄さん同様、主導権は手離さないが、お菓子も絶対に手離さない。

なんだかんだ言ってもやる漢だし、有言実行の塊のような漢なので、今回もきっと完走すると思っていたら本当に完走した。やっぱすごいな。かっこよすぎです。60kmぐらいで交わした「もちろんです」には勇気をもらいました。

Image(3)日本一赤裸々な野辺山100kmウルトラマラソン日記 その1 | ラオウを目指す羅王のブログ Image

〇神熊選手

ロキソニンを大量保持して降臨した神熊選手。その準備の手厚さには感嘆するとともに厚く御礼申し上げます。

最近、転職したばかりで練習時間も思うように取れない中、De部副部長として、部長の羅王選手とともに3分前に生還したのは本当にすごい。主導権は羅王選手に握られているようにも見えるけどどうなんだろう。

昨シーズン、秩父の84kmウルトラを、途中の関門に引っかかり完走できなかったという話を何度も聞いていて、ぜひとも野辺山でリベンジを果たしてもらいたかったので、心から祝福したい。当日朝、重低音のいびきで一騒動起こしてくれたのも、きっと相部屋の選手たちをリラックスさせるべく笑いを提供してくれたに違いない。そういうとこ、あります。

野辺山ウルトラマラソン完走記その1ぼくみち.com | ぼくみち.com

〇小僧選手

フルマラソンを一回完走したのみのラン歴にも関わらず、「だって、おもしろそうじゃないっすかぁ」というノリと勢いで野辺山ウルトラに挑んだ冒険者。

今回参加したメンバーの大半もこの小僧選手の巻き込み力に屈しての参戦だが、結果的にはみんな感謝しているのは間違いない。チャラく見えるけど芯は強く、どんな時でもスモークを欠かさない。

スモークで肺を追い込んでいる上に滑り込み2分前の完走ということで、何気に今回のMVPかもしれない。30歳最後の日に100kmを完走するなんてかっこよすぎでしょ。ふだんは主導権を握っては放り投げることもあるが、今回は最後まで投げなかった。

〇ハラル選手

最年少だが、ぼくが知っている限り一番ウルトラマラソンへの熱量が高く、チャレンジ富士五湖の72kmの部にも、K兄さんと参戦。いつも片耳にBluetoothワイヤレスイヤホンのようなものを装着しているが、何を聴いているのかは不明。ブログの世界観も独特。

上から目線でいう訳ではないですが、今回のウルトラで一皮むけた印象を抱いているのはぼくだけではないはず。最後まで走って帰ってきたことは本当に賞賛に値すると思ってます。そして、ウルトラに本気なだけに、何としてでも時間内に完走させてあげたかった。でも、きっと気持ちはもう次のチャレンジに向かっていると思います。

ちなみに主導権は利き手じゃない方で握っちゃってる感じ。

激走!野辺山100kmウルトラマラソン | HYメディア

何はともあれ、この仲間たちと野辺山を走ることができてよかったです。

チャレンジ富士五湖に続き、野辺山ウルトラの完走記もまた8エントリになってしまいました。こんな壮大(?)な完走記になってしまったのも、仲間も一緒だったので、なおさら色々と考えること・感じることがあったんですね。

内容的にもぐちゃぐちゃなんですが、この混濁した感じがまさにウルトラで体験できることの中身です。だから、記録としては、かなり忠実。

めちゃめちゃつらい思いをすることは必至ですが、ウルトラ走っていまだに後悔したことは一度もありません!これを読んでウルトラ走りたい、野辺山を走りたいと思う人が、一人でも増えてくれるとうれしいです(ロキソニンは忘れずにね!)。

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑦

先週末に参加した第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの完走記その7です。

これまでのエントリは、こちら。
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記① | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記② | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記③ | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記④ | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑤ | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑥ | reboot blog

馬越峠頂上@79km地点~82kmエイド

下のコース図と高低図を見ていただければ分かるように、79km地点でピークを迎える馬越峠は、後半最大の難所です。ようやくここを越え、下ってスタート地点へ戻ります。あとは時間との闘い…
140525 1

残り21kmを3時間ということは、1km当たり8分半で走り続ければ間に合うというスピード。普段であれば、LSDよりも遅いペースなので余裕のはずなんですが、もう80km走っている上、どこでヒザが限界を迎えるか分かりません。

さすがに痛み止めの効きも悪くなってきたようで、頂上でもう一錠ロキソニンを投入。絶対マネしない方がいいと思いますが、後から痛くなると手遅れになるので、後悔しないことを優先。

ここからは一気に下ります。北相木村へ向かう折り返し道、56km地点ですれ違ったK兄さんが前を走っていると思って、先を急ぎます。歩いてもゴールできる距離と時間まで早くたどりつかないと、今日のヒザはかなり悪いっす。

同じタイミングで峠を越えた関西から来たと思われるおじさんと、「やっと越えましたね~」「もう坂ないよな!?~あの登り、ほんま最悪やったな〜」と談笑。元気をもらって勢いよく下りに入ります。

登りの時は登りが一番つらく感じますが、下りの時は下りが一番つらいもの。着地するごとに体全体を受け止める前腿が破壊され、脚に力が入らなくなっていきます…

それでも5分台/kmペースで、転がり落ちるように走っていると、赤いチームTシャツを発見。K兄さん!!! 82kmのエイドでようやくチーム内で先頭を走っていたK兄さんに追いつきました。

82kmエイド~87kmドロップバッグポイント

ここからは兄さんと併走。里に下る、思いの外長い下りを一緒に飛ばします。里山の風景が美しい。こういうコース好きです。

140525 2

しかし、この下りは永遠に続くのかと思うぐらい長く、兄さんと一緒じゃなかったら、油断してペース落とした結果、制限時間に間に合わないということにもなりかねないぐらい長かった〜兄さんが一緒で本当によかったっす。

峠走の練習だったら、本当に気持ちのいいコースなんですがね。

下り切ると川沿いののどかな道。最後のドロップバッグが待っていることを心の支えに我慢して進みます。(高低図ではうっすら登っている)最後の10kmのために、時間を稼いでおかなければと、肩で息をするぐらいのスピードで。やっぱり、一人だったら絶対ここまで追い込めないな。

140525 3

ドロップバッグに入っているベビースターもうまい棒も、チャレンジ富士五湖に続きメンバー入りしていたピーナッツコッペパンも、もはや口にする気力はないけれど、それでもドロップバッグが待っててくれるのは気持ち的にありがたいです。

最後の関門でもある87km地点を、12時間ちょうどくらいで通過。うどんで補給をして、最後の区間に臨みます!もちろんロキソニンも忘れずに。残りはわずか13km。されど13km。

140525 4

87kmドロップバッグポイント~ゴール

ここからは、日が沈む道をゴールに向けて、時計をにらみつつ淡々と進みます。今、ここを走っている人は、全員が完走を目指しているはず。ダラダラと歩く人はおらず、みんなゆっくりでも我慢強く走っていて、なんか泣けてきます…

140525 5

あー長い。最悪のヒザに働いてもらいながら、ここまで来れただけですでに胸いっぱいなんですが、簡単にはゴールさせてくれませんね。やっぱり100km長いっす。7:00/km前後で走り続けるんですが、90kmすぎてから、気持ちばかりが先行して全然距離が伸びません。好きな子にメールして返信を待っている時のようにGPSウォッチをちらちら見てるのに、全然距離のメーターが変わらない。

一緒に走っているK兄さんはといえば、一切気の緩みはない様子。

商社の第一線で活躍するビジネスマンとしての仕事ぶり(直接は知りませんが様子から察するに)や家庭への配慮、トライアスロン挑戦と並行して進めてきたウルトラへの準備と、つねに盤石の積み上げを遂行する兄さんには、人生の先輩として多くのことを学ばせていただいています。

140525 6

いよいよ、残り3kmの表示が。ゴール地点が近いのか、ゴールする人を迎えるアナウンスと歓声が聞こえるんですが、そこまでは3kmほどかけて大きくぐるっと回らなければいけないコースのようで。

距離調整かもしれませんが、ゴール付近での迂回は精神的ダメージが大きいです(笑)

何はともあれ残り3km。K兄さんに「やりましたね!」と声をかけるも、「最後まで!」と気を緩めることはありません。盤石です。詰ませたことを確信しても、相手が「参りました」というまでは気を抜かないタイプです。

大きく回り、また徐々に歓声が大きくなり、それとともに観客も増えてきました。スタートした野辺山駅を見つけ、「戻ってきた!」と思った瞬間、ゴールゲートが目に入りました。

ここまできてようやく、兄さんと完走の喜びを噛みしめ、肩を組んでゴールに飛び込みます。

長い長い闘いになりましたが、制限時間の10分前、兄さんと肩を組んでゴ~~~~ル。

いやー、疲れました。肉体的に追い込まれたというより、完走できるかどうかの瀬戸際での精神的葛藤が本当に長かったです…兄さん、初100km完走おめでとうございます!

140525 7

ゴールその後

しかし、このレース、まだ終わりません。

残り10分で後ろを走っている仲間たち4人が戻ってくることを祈り、ゴールで付近で待ちます。

残り3分を切り、さすがに厳しかったか・・・と思った瞬間、知ってる風の名前が立て続けにアナウンスされる。よく考えると、ふだんは通称でしか呼び合っていないので、本名がよく分からない。でもたぶん聞いたことある名前だから間違いないはず。

「うおー、戻ってきた!」

興奮してゴール前に出て待ち構えていると、羅王選手・神熊選手の巨体と、そのすぐ後ろに小僧選手の姿が!ゴール前で抱き合い、みんなで号泣ののち、ゴールを見届けます。ちゃんと帰ってきたよ〜〜〜みんなすごいっすすごいっすすごいっす(泣) なんか自分のゴールより嬉しい…

ゴールその後のその後

しかし、このレース、まだ終わりません。ハラル選手が戻って来てません。

制限時間である14時間が無情にも経過。途中、OPP(おなかのアクシデント)に苦しんでいたハラル選手は59kmのドロップバッグポイントで会ったのが最後なので、その後どうなっているのか…

71kmの関門か、79km馬越峠の頂上関門か、87kmの関門か。
どこかでつかまったか、リタイアしてバスで戻ってきているのだろうか。

色々と想像をしてみても確かめる方法もなく右往左往していると、ゴール付近で崩れ落ちているハラル選手を仲間が発見!

「うおー、戻ってきた!」

ハラル選手、残念ながら5分だけ、制限時間に間に合わず。でも、本当によくがんばった。最後まで走り切ったことに感動です。ゴールテープがなくても、完走メダルがなくても、最後まで走り切った事実は変わりません。

本人は、さぞ悔しいことでしょう。素直には喜べないかもしれません。でも、仲間としては賞賛を惜しむ理由はどこにもありません。

こうして仲間たち全員が、約束通り野辺山の100kmを走り切り、休む間もなく30分後の新宿行き最終バスに乗せられて、汗だくのまま帰路についたのでした。

(総括につづく。次が最後です。)

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑥

先週末に参加した第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの完走記その6です。

これまでのエントリは、こちら。
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記① | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記② | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記③ | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記④ | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑤ | reboot blog

59kmドロップバッグポイント〜71kmの部ゴール

仲間の顔を見て元気が出たところで、再出発。

北相木村から折り返し道を戻ります。少し行ったところで、先にエイドを出ていた羅王選手を発見。一瞬並んだとき、一言だけ「最後まで」と声をかけると、向こうからも一言だけ「もちろんです」と。

体力的にもタイム的にも、決して余裕があるわけではない(というよりかなりやばい)ことは、お互い認識していたはず。それでも、まだ捨ててないってことが何より励みになります。これで完全にスイッチ入りました。

後半に入ってくると、完走を諦めるランナーが出てくるのは、どのレースでも同じ。

人それぞれにゴールがあって、人それぞれに楽しみ方があるので、のんびりと、行けるところまで行くというのも一つの選択肢です。しかし、もし時間内の完走を最後まで目指すのであれば、すでに諦めた人たちと一緒に、のんびり走っていてはいけないのです。コースを共有してはいても、ゴールまで共有しているとは限らないのです。

「自分を変えるためには環境を変えるべき」とか「付き合う人が自分を決める」とかよく言われます。ぼくも愛用しているDropboxの創業者・ドリュー・ヒューストンもMITの卒業生に対して、

「あなたは、あなたの周りにいる最も近しい人(サークル)5人の平均だ」

と、刺激的な人たちを自分の周りに置くことの重要性を改めて説いています。我々は走りながら、このことを学んでいるんですね。

ダラダラとした登りを、走ったり歩いたりしながら、ようやく71km地点にたどりつきます。71kmの部のランナーが続々とゴールに入ってくるのを祝福したい気持ちと、妬ましい気持ちが半々・・・恒例の、なぜ100kmにエントリーしてしまったんだろうと後悔する瞬間です。ちくしょう!

関門時刻15:15の30分ほど前、71km地点を通過して馬越峠へ挑みます。
140524 1

71kmの部ゴール~馬越峠頂上@79km地点

ちなみに、この71kmまでは細かいアップダウンがありながらも登り基調、71kmから馬越峠入口までは「これ、もう峠入ってるんですよね⁈」「いや、まだみたいですよ」「!!!」 みたいなやり取りを周囲のランナーとしてしまったぐらい、やっぱり登り続き。そして峠に入ってからは、「は~~~っ、こんなの70km過ぎに持ってきますか」と、コース設計者のドSぶりに感嘆してしまうレベル。

59km地点、71km地点と立て続けに投入したロキソニンは、定められた用法・用量(※)に目をつぶって服用のため、なんとなく胃が痛い気がするけど、ヒザが痛いよりはまし。もちろん自己責任です・・・

※基本的には、一日2回までで服用間隔は4時間以上空けること、そして服用時は空腹を避けることとのこと。服用時はくれぐれもご注意ください。

ぼくの場合は、ヒザよりも胃腸の方が丈夫なので、大学で習った比較優位の原則を応用(?)してみると、多少胃を痛めてもロキソニン投入が正解のはず。頭も回らないので、比較優位の使い方は間違っているかもしれないけど。

さて、ここから突入した馬越峠は・・・
140524 2

前を見ても・・・
140524 3

後ろを見ても・・・
140524 4

もう全員歩いています・・・この登りどこまで続くのか・・・事前に足柄峠走に行ってなければ、きっと心が折れていたことでしょう。

ここでスピードを落としたら終わりだと思い、9~10分台/kmをキープして歩き続けます。気持ちが折れそうになったらケータイに入れてあるサンボマスターのライブ映像、白山・白川郷ウルトラでも救ってもらったあの曲を投入し、自らを鼓舞します。

これ見ると、100%がんばれます。でも100%泣きます。泣いて過呼吸気味になり肉体的には追い打ちをかけることになりますが、精神的には踏ん張れます。「できっこないをやらなくちゃ」と。

ロキソニンとサンボマスターの力を借りて、馬越峠を制したのは、レース開始から11時間が経過しようという頃でした。あと3時間で、21km。このレース中、初めて完走できるかも、と思った瞬間でした。
140524 5

(つづく)

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記⑤

今週末に参加した第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの完走記その5です。

これまでのエントリは、こちら。
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記① | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記② | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記③ | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記④ | reboot blog

59kmドロップバッグポイント

暑いので、エイドでは必ず頭から水をかぶってました。このエイドではプールまで登場!

140522 1

エイドに入ってドロップバッグを受け取ると、先を走っていた仲間たちをすぐに発見。自分が完走ギリギリの時間で走っているので、先にエイドに入っているのを見てほっとした気持ち。

おにぎりをほおばる小僧選手は顔を見るなり「(このつらさは)想定外っす!」彼はこの日、30歳最後の日。その最後の日になんとしてもウルトラを完走するという意気込みで臨んでいる。

そもそも、まだフルマラソン完走一回なのに野辺山ウルトラに参戦しているのがすごい。でも実はその裏では、二週間前に野辺山対策で行った足柄峠走にも参加したし、事前に30kmのトレイルランにも挑戦し、完走に向けてしっかり準備している。勢いだけじゃなく、全力で準備もしてくるところが憎い。

そして、途中のエイドで何度か会った熊選手とラオウ選手の顔も。熊選手はここでもロキソニンの施しを・・・本当これがなかったら完走はなかったっす。万が一のための備えとは、実際に万が一が起こったときに必要な対応できるということなんですね。熊選手に学びました。

トイレ渋滞につかまり遅れを取っていたらしい通称「ハラル選手」もすぐに到着。ここでようやく仲間みんなが59km地点までは来ているということをお互いに確認。あとフルマラソン一本分!

60kmからが本当のウルトラマラソン

ところで、ぼくは60kmから本当のウルトラが始まる。と、勝手に思っている。

実は、ウルトラマラソンで精神的にきついのは前半で、そこではまだたくさんの可能性が残されていて、その分オプション(選択肢)もいっぱいある。可能性のうちにはもちろん、関門に引っかかって最後まで走れない可能性も含まれるし、オプションにはリタイアすることも含まれます。

ぼくは、仕事においてはOption Making(選択肢をつくる)のプロセスとDecision Making(判断・決断する)のプロセスを明確に分けます。判断しながら選択肢をつくると、十分に拡散することができず、思い切った選択肢が出てこないからです。

一方で、思いっきり選択肢をつくるのはとても怖いことで、あらゆる可能性を考慮しなければいけません。選択肢がたくさんあるのは好ましくもあるんですが、実はとても不安定で脆くて不安なものです。可能性とか自由って、受け止めようと思うと、思いのほか重いものだったります。

そんなことが、学生時代に読んだエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という本に書いてあったようななかったような。何はともあれ、小難しいけど面白い本です。

とにかく、一度決断してしまうと後はやるだけだし、肉体的にはきつくても惑わなくていい分、気持ちとしては楽になります。腹が決まる。腰が据わる。

ここまでの60kmは前半戦で、あらゆる可能性を検討しなければいけなかった状態でしたが、ここからはもう、最後まで走り切るという覚悟。だからこそ、ようやくここからウルトラの苦しさと向き合う時間が始まるのです。

それに、フルマラソンを完走したことがある人なら、気合いだけでも20kmぐらいは走れるもの。だけど、60kmから先は「ここからもう一本フルマラソン」と思うと、覚悟と準備がないと走れるものではありません。

そういう意味でもやっぱり、本当のウルトラは60kmから始まると言ってもいいのではないかと思っています。この”試される”距離にきっちりと難所を持ってきているあたりが、「野辺山を制するものがウルトラを制す」と言われるこのレースの憎いところです。

(つづく)

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記④

今週末に参加した第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの完走記その4です。

これまでのエントリは、こちら。
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記① | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記② | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記③ | reboot blog

コース最高地点(1908m)@18km~八峰の湯42kmの部ゴール地点

最高地点エイドでは、新鮮なイチゴとぶどうをいただきリフレッシュ。エイドのみなさん、ありがとうございます!
140521 1

ここからは下ります!しかし、この時点ですでに2時間37分が経過。たった18kmに3時間近くかかっているとは・・・これは完全に完走黄信号です。

140521 2

下りに入り少し痛み止めが効いてきて、何とか続けて走れるようになり先を急ぎます。それでも、ヒザの痛みを避けているためか接地が不安定なんでしょう、林道の砂利で左足首を立て続けに3回ほどグリンとひねりかける。このままではヒザどころか、左脚全部もってかれる・・・

多少マシになればいいかと思っていた痛み止めでしたが、この様子では最後まで持たないと思い、林道の途中でチームメイトの熊選手に遭遇したところで、ロキソニンを一錠分けてもらいます。神々しく見えたのは、彼の背後から刺していた木漏れ日のせいではなかったはず。

気持ち的には、これで少し安心。心から感謝です。林道の途中では、おしるこエイドでエネルギー補給。なんか小学校の時のマラソン大会を思い出すなあ。あの頃はおしるこ嫌いで食べられませんでしたが。

140521 3

下りの途中でまたヒザが痛み始め気持ちが折れそうでしたが、白山・白川郷ウルトラのTシャツを着ている人を発見し「白山とこれ(野辺山)、どっちがキツイですかね?」と話していると、「こっちの方が、断然ラクでしょ!」と勢いよく答えていただき、素直にそれを信じて頑張ることに(笑)

この辺りで、抜きつ抜かれつ走っていたラン仲間の熊選手とラオウ選手が、立て続けに肩を叩いて抜き去っていきました。そのペースでいかないと、完走できないから、と。

脚が痛くて付いてはいけなかったものの、彼らがまだまだ全然諦めていないというのが伝わってきて、いかつい男共の後ろ姿にきゅんとします。

芝生の歩道をゆるやかに下る我慢の距離を重ね、40km付近で二度目のロキソニン投入。そしてまた芝生の歩道を下っていると、ようやく42kmの部ゴールが見えてきました。

140521 4

フルマラソンの距離を、なんと5時間43分で通過です・・・もちろん温泉に浸かっている時間もなく、エイドのおにぎりをいただいて、とにかく前へ。

八峰の湯42km地点~59kmドロップバッグポイント

もうすっかり気温も上がり、日陰を走らないと頭がぼーっとするぐらいの暑い。

140521 5

50km関門エイドでは、どうも手打ちそばが食べられるらしいですが、長蛇の列だったたので、時間に余裕のない自分としては、泣く泣く断念。関門時間20分前の11:40に50km地点を通過します。

あんぱんもバナナもAmino Valueも飽きてきたので、ぜひともそばが食べたかった・・・私設エイドで冷たい水を用意して軒先から笑顔で見送ってくれたおばあちゃん、炎天下氷を配ってくれたお姉さん、本当に救われました。美しい里山を走れるのは幸せなんですが、相変わらず全く日陰がない。なんか笑えてきます。

140521 6

そうこうしているうちに、北相木村に向かう折り返し道に入ります。仲間達はもう折り返しを抜けちゃってるかもなあと思っていたところで、名前を呼ぶ声が!

チームメイトのK兄さんが元気よく手を振っています。富士五湖72kmもきっちり走り切ったK兄さん、さすが盤石のレース運び!前を走っている仲間がいると心強いっす。

暑過ぎて、のどもカラカラになったところで、ドロップバッグの待つ59km地点に到達したのは、スタートからちょうど8時間、13時を回った頃でした・・・

140521 7

(つづく)

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記③

今週末に参加した第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの完走記その3です。

これまでのエントリは、こちら。
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記① | reboot blog
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記② | reboot blog

スタート@0km~JR鉄道最高地点@7km

いざ出発!スタートゲートをくぐり、まだ雪の残る八ヶ岳をバックに走り始めます。5:00のスタート時点では、すっかり日も上り、明るくなっています。いい天気で本当によかった!グローブは置いてきたので手先は冷たいですが、日が当たると暖かいです。

140520 1 Start

まずは序盤の難関、8kmからの赤岳山麓林道トレイルに向かい、畑や牧場の中を進みます。トラクター渋滞も!

140520 2 トラクター

空気がとてもきれいで走っていて気持ちいい!ところがそれも長くは続きませんでした・・・20分ほど走ったところから、左ヒザに違和感が・・・いや、気のせいかな。いやいや、これは気のせいではない。まずいっす。

明らかに、左ヒザの腸脛靭帯がうずいてます。左足接地のたびに、ヒザ外の骨の上をコリコリと靭帯が動いているのが分かります・・・この日はどうも調子が良くない日に当たってしまった模様。

チャレンジ富士五湖では、かなり慎重にストレッチし、かなり慎重に走り出し、かなり慎重に脚の振り出し方に気を付けて走り続けたので、最後まで痛みが出ることなく走り切ることができたんですが(その分3週連続レースの疲労に苦しむことにはなったものの)、今回はそんなにうまくは走らせてもらえないようで。

何度も立ち止まり、お尻と腿のストレッチをしながら、体が温まり、ほぐれて痛みがなくなるのを待ってみるも、脚を動かす度にどんどん痛みが増してくる。こうなるともう、悪化に向けての一方通行。

今日はそういうレースの日なんだと、ヒザとの闘いがメイン・アジェンダの日なのだということを、4km地点で悟ります。残り96km、このヒザと一緒に走るのは気が重いですが、自分のヒザ以外とは走れないんだから仕方がない。と、ラン人生初めての痛み止め(ロキソニン)投入を決意。

これまでは、痛み止めを飲むことを自分の中のルールとして禁じていたんですが、富士五湖が終わってからの4週間、もっと言えばこれまでの総人生の結果が今のこのヒザなんだから、あとは残りの13時間でなんとかつじつまを合わせるしかないっす。

そして、つじつま合わせは後になればなるほど、無理が生じるもの・・・仕方がないのでルールを一つ捨てました。

ちょうどこの頃、同じくOPP(おなかのアクシデント)との初戦を終えたラン仲間のラオウ選手が、巨体を揺らしながら追いついてきました。待ち時間によるタイムロスはあったものの、初戦はうまくいなした様子。しばらくの併走の後、JR鉄道最高地点で、ヒザの不調とロキソニン投入を告げ、先に行ってもらいます。

仲間の背中を追いかけられることが大きな励みになるということを、この後初めて知ります。

JR鉄道最高地点@7km~コース最高地点(1908m)@18km

JR鉄道最高地点のトイレに並んでる間に、お守り代わりに2錠だけ持っていたロキソニンを1錠投入し、神頼みも兼ねて「幸せの鐘」を鳴らしてみます。

鳴らし方にコツが必要らしく意外と手間取るので、タイムロスがイヤな方は素通りしましょう(笑)

140520 3 幸せの鐘

それにしても、こんな景色の中走れるなんて、本当に幸せです。コンディションが万全ならね!

なんて不貞腐れたくもなりますが、まあ、すべてが万全の状況なんてそうはありませんから。能力があってもコンディションが悪ければ外されてしまうサッカー日本代表なんかと比べれば、自分の意思でレースを続けられるだけでもありがたいこと。

この後、じわじわと登りが始まり、まだ痛み止めは効きませんが、いよいよ林道に突入。

140520 4 林道登り

林道は登りも含め、ゆっくりでも走り続けるレースプランだったんですが、脚をかばうため早歩きに切り換え、すでに予定よりかなりの遅れを取っています。この区間が一番、完走を諦める気持ちと激しく闘っておりました。オダギリジョーばりに「どーする?どーすんの、俺!?」と自問自答を繰り返す林道。

徐々に傾斜が厳しくなり、標高とともに気温も上がり、意識が朦朧としてきたところで「コース最高地点1908m」に到達。

まだまだハーフマラソンの距離にも至ってませんが、この景色を見られただけでも登った甲斐があるというもの。富士山が見事です。ここからは下りです!

140520 5 1908m

(つづく)

第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記②

今週末に参加した第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの完走記その2です。

これまでのエントリは、こちら。
第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記① | reboot blog

“旅”のはじまり

ウルトラマラソンは、いつも”レース”というより”旅”のような感覚の方が強いんですが、今回は仲間5人と一緒だからか、なおさらその趣きが強くなります。

早朝にスタートするウルトラは前日受付&前泊が基本だし、レース以外も実際は旅行みたいなもの。

当日の朝、朝食と出発時間から逆算して2:30の起床。これから走る100kmのことを考えると、しっかり睡眠を取って気持ちよく目覚めたいところ・・・が、この日の朝は残念ながら穏やかな起床にはなりませんでした。

なぜなら、ケータイのアラームより前に、「まじでぶっ〇してやろうかと思った!」という、ただならぬ怒声で目覚めたから。

その声を発していたのは同じ部屋に泊まった仲間の一人、通称「小僧」選手。そしてその言葉が向けられた先も、尋常じゃないいびきでライバルのコンディションを崩しにかかった同じくチームメートの「熊」選手。本人はそのいびきに気付いてなかったようですが、不幸にも相部屋になってしまったお兄さんとおじさまの証言を加味して考えると事実であることは間違いないらしい。

ちなみにぼくはぐっすり眠らせていただき恨み言は一切ない上、熊選手にはレース中、数度にわたってロキソニンの施しを受け、完走まで導いていただいたということで頭が上がらないのです。感謝。

お兄さんとおじさまには、一同から謝罪し、お互いの健闘を祈ってバスで宿を出発。

こんなことも含めて、ウルトラマラソンです。林道や馬越峠の前に、相部屋になった人のいびきによって削られるかもしれないのがウルトラマラソンです。

荷物預けでにぎわうスタート地点の体育館。気分が盛り上がってきます。
140518 2 会場

スタート@0km

スタート地点で仲間6人全員で落ち合い、完走を誓い合ってスタート地点へ。たぶんこの時点だと、「絶対完走!」と口では言っているものの、100kmという未知の世界に対する不安でいっぱいだったんじゃないでしょうか。

わかります。初ウルトラの時はそうでした。100kmが終わる頃、自分がどうなっているのか想像できないですから。初マラソンの前に「乳首がウェアでこすれて血が出るから絆創膏はっといた方がいいよ」と忠告を受けて、自分の想像力の届かなさに衝撃を受けたことを思い出します。ましてや100km。何から血が出てもおかしくありません。

でも、弱気なことを口にするメンバーは一人もいません。ただただ堅く自らの完走を誓い、同時にお互いの完走を信じます。今回のスターターは、プロフィギアスケーターの安藤美姫さん。というアナウンスがあった瞬間、おそらくは心の中に抱えていたであろうそんな不安も吹き飛び、我先にとスタート地点に駆けつけます。運営側のにくい演出に救われました。

スタート時点の気温は5℃。寒い・・・

それでも、0℃でスタートし5℃までしか上がらず、雨も止まなかった富士五湖と違い、天気は晴れ。気温が上がることも分かっているので、ランニングジャケットはドロップバッグに入れ、スタート時点はアームカバーと温かくなったら捨てられるビニール袋(ゴミ袋を首と腕のところをくりぬいてかぶっただけのもの)で対応。

安藤美姫さんに手を振って、いよいよスタートゲートをくぐります。

でも、みんなが写真を撮っていくので、スタートのゲートをくぐる時点ですでに3分が経過。ウルトラにはグロスのタイムしかないので、この3分は関門と闘わなければならないギリギリランナーにとっては命取りですよ!ということを、2分45秒前にゴールした富士五湖で学びました・・・気を引き締め直していざ出発です!
140518 1 Start