第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(また超ギリ)完走記①

こちらのエントリでご報告の通り、5月18日、この日曜に仲間たち5人と、野辺山100kmウルトラマラソンを完走しました。

タイムは13時間49分と、制限時間である14時間の11分前。

先月のチャレンジ富士五湖の2分前や、今回同じく2分前に駆け込んできた仲間たちと比べるとまだ余裕(!)があるのかもしれませんが、いやいや14時間中の11分ですから、それはそれはかなりの追い詰められ方でした。

しかも今回は、100km中の4km地点で一番懸念していた左ヒザの故障が再発し、そこからの96km13時間20分を、ずっとリタイアと闘い続ける羽目になったわけです。

何でそうまでして走ってるんだろうね、というのは、ウルトラ走ってて毎回思うこと。

健康のために走ってるわけじゃないし、記録のために走ってるわけでもない。

結局のところ、ウルトラを走ることで「つじつまを合わせる力」みたいなものを鍛えようとしてるだけなんじゃないかと思うんですよね。

つじつまを合わせる力

今回の野辺山は、走力でゴールしたのではなく、「つじつま合わせ力」でゴールしたようなもんだと思ってます。

つまり、<100kmを14時間49分で走り切る走力>ではなく、<走ると決めた距離を走ると決めた制限時間の11分前には何とか走り切る力>で完走したということです。

富士五湖も同じで、108kmを14時間30分で走るという条件でしたが、これがコース変更もなく、仮に予定通りの112kmだったとしたら、タクシーつかまえてでもやっぱり何とかしてギリギリゴールしていただろうと思うのです。

逆に、8km少ない100kmの部であっても、きっちり2分45秒前にしか完走できていないでしょうけど(笑)

営業でも、毎月滑り込みでも、きっちり目標通り、詰める人がいます。

クリエイティブでも、絶対に締切までに、そこそこの品質のものを必ず納品する人がいます。

実はそういう人って、走力だけでマラソンを走っている人より、ウルトラランナーに近いのかもしれません。

そんなことを走りながら考えていたら、前に似たようなエントリを書いていたことを思い出しました。

Image(2) 「manage」という言葉のあいまいな意味にプロ仕事を感じる。 | reboot blog


しかも富士五湖走った直後ですね・・・考えることはやっぱり同じだったってことで。



「つじつま合わせ力」は追い詰められないと鍛えられない

この力はそれなりに追い詰められないと養われないし、ましてや自分で自分を追い込むのは、なかなか難しいです。

だからこそ、そのための訓練として、ウルトラマラソンやウルトラトレイルというのはかなり有効な手段だと思います。なにしろ、関門と制限時間というのは、そのレースの中にいる限り、シンプルで絶対的な世界のルールですから。こんなに分かりやすいことはないです。

走力だけでなく、「つじつま合わせ力」でも勝負できるのは、ウルトラディスタンスならではです。

走力がないからウルトラにはまだ出られないっていうのは、実はちょっと違うんじゃないかと思います。走力はもちろん必要。でも長くなればなるほど、走力だけではどうにもならなくなるのがウルトラの面白いところじゃないですか。

ぼくより速いタイムでフルマラソンを走るのに、リタイアしている人はたくさんいます(たぶん)。

ぼくより遅いタイムでしかフルマラソンを走れないのに、ぼくより早く100kmをゴールしている人もたくさんいます(たぶん)。

ウルトラのそういうところが、ぼくは好きなんだろうな。なんてことを考えながら、ヒザがダメになってからの13時間20分を走っていました。

このダラダラした随筆文も、一応、回想録の一部です(笑) 次のエントリからレース展開もちゃんと振り返ります。

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昨日は、会社の階段も登れないほどの激痛を左ヒザに抱え、「もっと近い会議室ないのか!?」と心の中で色んな人に八つ当たりしながら、一日を過ごしました・・・

ロキソニンは、くせになりそうなので自粛(笑) 荒れた胃もたまご雑炊で癒しました!

ウルトラマラソンの精神論②:諦めるなら最後の一人として諦める。

昨日は、八ヶ岳野辺山100kmウルトラマラソンを無事(体は全然無事じゃないけど)完走してきました!

一緒に参加した5人の仲間たちも、全員が初めての100kmを完走、いやーかっこよすぎます。

一人は82km地点で合流し、その後はゴールまで併走。肩を組んで一緒にゴール。その後ろを走っていた3人が制限時間ギリギリでゴールに駆け込んできたときは、涙をこらえきれず・・・そして最後の一人は惜しくも制限時間に5分届きませんでしたが、自分の脚で100km走り切りました。

それぞれがみんなリタイアの誘惑や、関門制限との闘いを乗り超えてゴールまで戻ってきたんですね。

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今回は自分にとっても、三度目のウルトラマラソン挑戦。

初めて100kmを走るメンバーをできるだけサポートしたいと思っていたんですが、恐れていた左ヒザの故障が、わずか4km地点から痛み出し、そんな余裕も全くなく、リタイアとの境界を彷徨うレース展開に・・・

これまでどれだけ辛くても使わないと決めていた痛み止め(ロキソニン)でしたが、とうとう一線を越え投入。しかも、ゴールまでに6回(笑) お守り代わりに2錠だけ持っていたんですが、途中で走っていた仲間におすそ分けしてもらいました。これがなかったら絶対に完走してなかった。(Nさん、本当にありがとうございました!)

痛み止めを使うと、その時はよくても体からのアラームを無視して酷使することになるので、使わないのが自分のルールでした。でも今回はそのルールを破ってでも、みんなで完走したかったんですよね。

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そういうわけで、初ウルトラで完走できるか分からなかった白山・白川郷100kmや、関門と闘い続けたチャレンジ富士五湖112kmと比べても、過去最高にリタイア寸前だった今回の野辺山ウルトラ。

それでも踏みとどまったのは、結局のところ、精神論です。前のエントリで書いた「関門に間に合うかどうかは、自分が判断することではない。」っていうのが、序盤からかなり苦戦を強いられる中での心の支えだったし、一緒に走っている仲間が頑張っているというのも大きな励みになりました。

でも、一方で、気合だけの精神論は嫌いです。

その精神を制御するのに効果のない、実行につながらないような気合だけの理屈は嫌いなんです。だから、「絶対にあきらめるな!」みたいなことも嫌い。世の中に絶対はない、とか反論したくなるので。

本当は、諦めちゃうこともあると思ってます。人間だし。そんなに強い人ばかりでもないから。だからこそ、

「諦めてもいい。ただし、諦めるなら最後の一人として諦める。」

という心構えで、ウルトラマラソンを走っています。こう考えるだけで、もう少しだけがんばろうと思えます。

今回のレースも、仮に誰かが自分と全く同じ体の状況で、全く同じレース展開だったとして、やっぱり諦めちゃう人もいると思うんです。そんな中でも、自分は最後の一人になるまでは諦めないという気持ちで走るのが、自分にとっては苦しい苦しいウルトラを完走するための大切な心構えになっています。

まあ、これもかなりの精神論ですけど(笑)

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野辺山はかなりの難コースでしたが、エイドのサポートや沿道の声援も温かい、いい大会でした。

野辺山駅から見た景色も素晴らしい!コースは厳しいけど景色は最高!!次のエントリから、レースを振り返りたいと思います。

140517_1_野辺山

ウルトラマラソンの精神論:関門に間に合うかどうかは、自分が判断することではない。

先月のチャレンジ富士五湖112kmに続き、八ヶ岳野辺山100kmウルトラマラソンに挑戦する時がきました。

新宿からバスでいざ出発!
140516 1 Bus

ウルトラの中でも屈指の難コースと言われる野辺山ですから、今回もかなりの苦戦を強いられそうです・・・

そんな自分を鼓舞するため、野辺山ウルトラに臨む心構えを出走前に記しておきたいと思います。

・制限時間2分45秒前にゴールした先月のチャレンジ富士五湖112km
・同じく50分前の白山・白川郷100km
・同じく8分前の蔵王トレイルラン42km

などなど、制限時間ギリギリ戦績ホルダーの歴史から、自分への励ましの言葉を引き出すとすれば、

関門に間に合うかどうかは、関門が判断することで自分が判断することではない。

ということ。

つまりは、自分で勝手に「もう間に合わない」と判断しないってことです。上記のようにかなりギリギリレースが多いんですが、逆に言うと、この考えを貫いてきたからこそ、それら全てを何とか完走できているということで。

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チャレンジ富士五湖の完走記にも書いたように、ウルトラの途中では、必ず諦めるランナーが出てきます。そんな時に、自分もそれに乗って諦めるのか、判断を保留してできることにフォーカスするのかは、完走ギリギリランナーの自分にとっては分水嶺なんですね。

もちろん、それぞれの走力や状況、コンディションから、関門に間に合わないことが確実だと確信できることもあるでしょう。でも、その「間違いなく間に合わない」というポイントの少し前には、「諦めなければまだ間に合う」というポイントがあったはず。

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『7つの習慣』で「影響力の輪」という概念が説明されています。

簡単に言うと、自分が影響できないものにフォーカスしてもどうにもならない。だから、影響できることにフォーカスすべし、ということです。明日晴れてほしいと、いくら一生懸命考えても、自分で天気を決められるわけじゃないんだから、自分にできることに集中しようぜという話です。

制限時間との闘いにおける影響できないものは、

・各関門の制限時間
・現在時刻

です。だから、あと〇分あれば間に合いそうなのに、とか考えても仕方ないわけです(そりゃそうだと思うでしょうが、ウルトラ走ってると途中から延々とこんな「たられば」計算を繰り返すことになります)。

反対に、影響できるものは、

・走るか、歩くか、止まるかの判断
・自分が進む速度

これだけです。関門に間に合う速度で走り続けること。これだけです。だから、それ以外のことは手離してしまおうってことです。

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今回は一緒に参戦する仲間も増え、6人での参加です。明日も長旅ですが・・・みんなで完走目指してがんばります!

動的な<アシスト>と静的な<サポート>。実践シミュレーションしてみました。

前のエントリで、<アシスト>と<サポート>の違いを、自分なりにこんな風に考えてみました。 

<アシスト>は、

・動的なお手伝い。

・時間軸で言うと、瞬間的な援助。

・(アクションによる)直接的な助け。

<サポート>は、

・静的なお手伝い。

・時間軸で言うと、状態的な援助。

・(仕組みによる)間接的な助け。

せっかくなので、アシストする時とサポートする時はどんな風に違うのか、シミュレーションしてみましたよ。

まずは、仕事でよくあるパターン、資料づくりに困ってる人をヘルプする場合。

<資料づくりをアシスト>

・内容にアドバイスする

・分担して一緒に資料づくり

・印刷製本作業を肩代わり

ってな感じでしょうか。これをサポートしてみると・・・

<資料づくりをサポート>

・励ます、応援する

・おやつを差し入れする

・他の仕事を代わりにやって集中できるようにしてあげる

などなど、他にもありそうですが。

 

次はプライベートバージョン。かなり自分よりのシチュエーションで恐縮ですが、ランナーに対するアシストとサポートだと・・・

<マラソンをアシスト>

・スタート前にマッサージする

・セルフエイドでスペシャルドリンクを手渡す

・伴走する(ペーサーを付けていいレースの場合)

そして、

<マラソンをサポート>

・レース用の荷造りを手伝う

・励ます、応援する

・雄姿を写真におさめる

週末はまたウルトラマラソンですが、アシストもサポートも欲しくなっちゃいますね。

どちらの場合も、<アシスト>と<サポート>、どちらを意識するかによってけっこうアクションが変わってくるということです。

助けを頼む場合も同じです。<アシスト>と<サポート>を分けて考えると、より明確に相手に期待すること・お願いすることを伝えることができそうです。

***

週末はいよいよ野辺山100kmウルトラマラソンです。

が、仕事で滞っている案件に手間取り、連日の残業によってやっぱり全く準備ができておりません・・・なぜかレースの前後はいつもこうなります。

仕事と時間のマネジメントはまだまだ甘いですが、関門にかからないよう、ウルトラのマネジメントはしっかりがんばりたいと思います!

動的な<アシスト>と静的な<サポート>。

つい先日、友人夫妻が買った「電動アシスト自転車」に初めて乗ってみました!


こんなエントリも書いているくらいですから、電動アシスト自転車には興味津々で一度は自分でも乗ってみたいと思っておりました。

Image(1) 知ってました?バングラデシュは電動アシスト自転車先進国かも。 | reboot blog

そう思いながらも、実は今まで電動アシスト自転車に乗るのをさりげなく避けていました・・・

今はロードバイクで通勤している上、トライアスロンを始めたところなので、電動アシストがあまりにラクすぎて人力でバイクをこぐのがバカバカしく思えてしまったらどうしよう、と(笑)

電動アシスト自転車とは

念のため、電動アシスト自転車とは、モーターで人力を補助する自転車で、原付とは違って自走はせず、ペダルをこがないと進みません。

英語では「Electrically Assisted Pedal Cycle」と呼ばれており、ペダル補助という言い方がよりこの点を明確に説明していますね。

ちなみに、世界で初めて電動アシスト自転車をシリーズ販売したのは、ヤマハの「PAS」らしいです。

電動アシスト自転車に乗ってみた

いざ乗ってみると、驚くほど快適!これは感動です。ちなみに乗ったのは、パナソニックのこちら。見た目もオシャレでかっこいい。

 

お子さんや、スーパーで買い出しした大量の荷物を載せて爆走しているのをよくみかけますが、あれができるのも納得。踏込に力を入れなくても、足を置いただけで前に進みます。上り坂の傾斜も全然苦ではないですね、ぐいぐい進みます。背中から押してもらってるみたいですね。

ただ、どこでこの電動アシストが役立ってるかというと、主にこぎ出しのところ。こぎ出しは一番力を必要とするところなので、ここを電動でアシストするだけで大きな援助になるんですね。

一方で、一度トップスピードまで上がってしまうと、普通の自転車とさほど変わらないような気がします。だから、巡航速度が大事なトライアスロンに、仮に電動自転車で出場したとしても、ロードバイクやTTバイクの方が有利だと思います。よかった(笑)

今は主に、主婦層をメインターゲットにしているのでそのような仕様にしているのであって、巡航速度を上げるための電動アシストも開発できるとは思うんですが、これが登場したら、今度こそ心が折れるかも・・・

<アシスト>と<サポート>の違い

それで、この電動アシスト自転車に乗ってみて初めて気づいたのが、<アシスト>と<サポート>って違うんだということ。恥ずかしながら、これまでちゃんと考えたこともありませんでした。なんで「電動サポート自転車」という名前ではないんだろう?と思ってたんですね。

英語の意味としては、

     assist: 〔補助的に人を〕手伝う、手助けする、力を貸す

     support:〔人を〕支える、支援[援助・サポート]する、後押しする、下支えする

ということですが、この自転車に乗ってみて、もう少し自分なりに考えたことは、

<アシスト>は、

・動的なお手伝い。

・時間軸で言うと、瞬間的な援助。

・(アクションによる)直接的な助け。

で、一方の<サポート>はというと、

・静的なお手伝い。

・時間軸で言うと、状態的な援助。

・(仕組みによる)間接的な助け。

みたいなことなのでは、と。電動アシスト自転車が助けてくれるのは、本当に踏み込む時の一瞬なんですよね。だから、アシストです。

サッカーでも、ゴールにつながるようなパスを「アシスト」と言いますね。ゴールをお手伝いするような直接的なアクションだからでしょう。同じくサッカーでは、観客や応援する人のことを「サポーター」と呼びますが、これは応援という間接的な助けでもあり、また特定のチームを応援しているという心の状態にフォーカスした言い方なんだろうと思います。

なぜか今思いついてしまった餅つきでいうと、杵をついている人の脇で手水してくる人は正確には「餅つきアシスタント」で、餅つきに必要な道具や会場を用意してくれる人は「餅つきサポーター」なんでしょう。

ほしいのは<アシスト>なのか<サポート>なのか

それで、何が言いたいのかというと、仕事でも私生活でも助けを求めたい時ってあると思うんですが、そんな時自分が何を求めているのかも分からずに、ただ助けを求めていることってあるんじゃないかと思います。もしくは、助けてくれない周囲を逆恨みしたり。

そんな時に、自分は<アシスト>を必要としているのか、<サポート>を必要としいるのか考えてみるといいんじゃないかと思います。

逆に、自分が何かのお手伝いができるんじゃないかという時や部下・後輩を助けてあげないといけない時。<アシスト>はできないけど、<サポート>ならできそうだとか、<アシスト>するのは簡単だけど、ここは<サポート>に徹するべきだとか、少し具体的に考えることができるんじゃないかと思います。

上の定義が本当に正しいかどうかは分かりませんけどね(笑)

***

習慣化に取り組んでいる5時起きですが、こちらは完全に習慣化に成功し一度は必ず5時に起きられるんですが、二度目も併せて習慣化されつつあります。

二度寝から起きた時間でもまだ早起きなので、ついつい気を許してしまい・・・

というわけで、二度寝が完全に定着する前に、もう一度朝起きてやりたいことを見直しています。

「継続」について勘違いしていたこと。

突然ですが、私にはいくつか(かなりの努力を費やして)継続していることがあります。

日記とか(ちゃんと再開してから今日で1685日)、このブログとか(たぶんこれが540エントリ目)、ラン用の体幹トレーニングとか(できれば毎日)、早起きとか(まだ15日目・・・)。

「継続」とは

ウルトラマラソンをやっていることもあり多少の忍耐強さはあると思うんですが、とても飽きっぽい私にとっては、続けること自体が大変なことで、だから「継続」することは、ただ続けているという事実だけでも立派なことだと思っていました。

で、つい先日こんな言葉を目にしました。

     「継続とは、昨日と同じことを漫然と繰り返すのではなく、今日より明日、明日よりは明後日と、改良や改善を付け加えていくこと」

おお、なんか、いいこと言ってますね・・・・・・・・・・(大汗)

ってな感じで、けっこうな衝撃を受けました。継続していることにあぐらをかいていた自分は、まさに漫然と同じことを繰り返している人!

継続の中の改良・改善の余地

ただ漫然と繰り返すだけでは前進していないってことですね。

淡々と蓄積されていくことに価値があるものも、もちろんあるとは思います(日記とかブログとかはそうかも)。でも、それでは惰性で続けているだけということになりがちだし、もったいないということです。

<やった><やらない>とか、<できた><できなかった>でしか測れないことであっても、

・精度

・満足度

・余裕度

・実行に要した時間

・実行に要した労力

・・・

などなど改良・改善の余地はたくさんあります。そして、改めて振り返ってみると、意識的ではなくても何かしらは改善しようとしているような気もしますね。何をどう改良・改善したいのか、リストアップして意識に上げてあげるだけでも、毎日の継続が変わってくるかもしれません。

継続するだけでは「継続」ではなく、改善・改良が継続していて初めて「継続」と言えるってことで。

明日からも(は)、本当の意味で継続してると言えるように、続けていきたいと思います。

***

昨日は夜遅くまで残業で、帰宅後やろうと思っていた週末のウルトラマラソン準備ができませんでした。ダラダラ残業はやっぱり効率もよくないし、反省です・・・

こうやっていつもギリギリになっちゃうんですよね(笑)

標語を掲げるより、使う用語を変えよう。

「頭では分かってるんだけど、なかなか行動につながらない」

ということ、結構多いと思います。

ビジネスであれば「顧客視点」とか、日常生活であれば「相手の立場で考える」なんかが、その最たる例でしょう。大事なことであればあるほど頻繁に触れるので、「またこれか」と思って流してしまうことも多く・・・私も反省すること、しばしばです(汗)

標語を掲げるより、使う用語を変える

重要なのはもちろん分かっていて、それでも自分の思考や行動の変容に結びつかない。そういう時は、”使う用語”を変えることで、自然に思考や行動をスイッチできることが有効である気がします。

前のエントリでも、「150人の来店」と言うか「一人の客の来店が150回」と言うかで、お客さんに対する態度が変わるということを書いてますが、まさにこれはその好例ですね。

同じように、たとえば年間で1万台の家電製品を売っている場合、普通だったら「年間売上台数目標1万台」と言っているところ、「年間お届け家庭数目標1万軒」といった方が思いが込められるかもしれないし、「年間喜んでもらえるご家族目標1万世帯」と言った方が、想像が湧きやすいでしょう。

マネジメントが口を酸っぱくして「顧客目線」と言い続けるより、会議や資料で使う言葉を「売上台数」から「喜んでもらえるご家族」という言葉に変える方がよっぽど効果的です。

使う言葉が意識をつくる

使う言葉は、つくづく大事だなあと思います。何気なく使っているようで、すべてそれは自分に向かって発せられています。だから、自分が使う言葉によって、自分が躾けられているとも言えます。

教育的な観点から、子どもの自己肯定感や自己認識を高めるために、親が子どもに対して使う言葉は大事というのはよく言われることです。それは自分に対しても、チームに対しても同じことが言えるはず。

組織文化とかミッションの浸透とか、チームマネジメントにおいても十分に使える考え方です。

「つくりたい意識」から逆算して「使う言葉」を選ぶということをしなければいけないということですね。

***

5時起き継続中なんですが、朝起きてからやりたいことが増えすぎ、開き直って二度寝してしまうことも(笑)

今日で再開して2週間になります。まずは習慣化の第一関門の21日間に向けて、あと一週間がんばります。

「150人の来店」と捉えるか、「一人の客の来店が150回」と捉えるか②

前のエントリでは、

     「150人の来店」と捉えるか、「一人の客の来店が150回」と捉えるか。

によって、お客さんに対する認識や態度が変わってくるという話でした。

一人一人の満足度を上げることだけでなく

これは必ずしも「一人一人のお客さんの満足度を上げましょう!」ということだけを言いたいわけではありません。

もちろん、それが最も重要で基本的なことであるのは言うまでもありませんが、ある一定の満足度を達成しているなら、そのサービスが受けられる人を一人でも増やすということにも、同じように価値があるからです。

いつ電話しても予約が取れないレストランは、どれだけサービスが優れていても、行けなかった人にとっては満足度は0です。本来ならそのサービスを受けられなかったのに、それを受けることができる人が増えたというのは、社会全体の満足度は上がっているってことになりますよね。

お客さんの捉え方によって、想像の臨場感が変わる

ただ、その場合でも、「150人の来店」を「200人の来店」にしようと考えるか、「一人の客の来店が200回」になるようにしようと考えるかで、やっぱり打つ手が変わってくるだろうと思います。

前者であれば、広告やクーポンでもばら撒いて集客すればいいとか、一人当たりの滞在時間を短くして回転率を上げればいいといった発想になりがち。

一方、後者であれば、どうやって200人のお客さんがお店に来るというドラマを演出できるのか、そのストーリーをつくることができるのか、を考えることになるでしょう。

一人の客を、一人の「人」として捉えるからこそ生まれる想像があります。「一人の客の来店が150回」と考えることが、臨場感のある生々しい想像を生みやすいということですね。

ビジネスにおける繊細さは、こんな風に発揮されるといいんじゃないかなと思っています。

***

昨日は、母の日ということで、手土産とカーネーション(ベタすぎて恥ずかしいですが)を持って実家に顔を出していました。

普段はなかなか言えない感謝の気持ちを伝えるいいきっかけということで、こういう日は積極的に便乗することにしています(笑)

「150人の来店」と捉えるか、「一人の客の来店が150回」と捉えるか。

昨日は勉強会に参加し、久々に体より頭を動かした週末で(笑)、収穫の多い一日でした。

もう少し深く勉強してみたいという事もたくさんあったんですが、そんな興味深いお話の中で、とても身に染みたのが、お客さんに対する認識について。

お客さんをどう捉えるか

たとえば、セミナーなんかを主催する場合、複数の参加者がいらっしゃるわけですが、会場の手配とか資料の準備など事務的なことを考えていると、ついつい参加者全員を一括りにして見てしまいがちです。

しかし、実際には、


「5人の参加者がいた、ということではなく、一人の人が参加するというドラマが5件」

発生しているのです。

自分が参加者である場合を考えれば簡単に分かることです。ところが立場が変わった瞬間、とっても雑に考えてしまうものなんですね・・・

自分でも勉強会を開催していることもあり(最近、諸事情により開催が滞っております・・・決してトライアスロンを優先しているわけではないんですが)、過去を振り返り、思わず唸ってしまいました。

営業とかコンサルティングなどは、特定のお客さんに意識が向きやすいと思いますが、多くのお客さんと接することになる仕事では、特に注意したいところです。

「150人の来店か、一人の客の来店が150回か」

実は、同じことを以前、知人のカフェ店長からも聞いていて、なるほどと思っておりました。

そのお店では、一日平均で150人ほどのお客さんがいらっしゃるそうなんですが、「150人の客」だとは考えないそうです。

「150人の来店ではなく、一人の客の来店が150回ある」と考えている、と。

このお店は、よくあるチェーン店とは違い(チェーン店が一概にイマイチというわけではありませんが)、とても居心地のいいお店で、いつもお客さんがそれぞれの時間をのびのび楽しんでいます。その裏にはそんな考え方の違いがあるのかもしれません。

ビジネスにおける繊細さ

「150人の客」としてではなく、「一人のお客さん」として向き合って考えることができるか。ビジネスにおける繊細さって、そういうことなんだろうと思います。

「150人の客」と捉えると、「どう捌くか?」「どう増やすか?」といった発想になりがち。「一人の客が150回」と捉えれば、一人一人の体験をどう良いものにしていくかといった発想にもなります。

「繊細」という言葉を辞書で引くと「感情や感覚が細やかなこと」と出てきます。一般的には、デリケートとかフラジャイルといったイメージで使われることが多いような気がしますが、細やかに相手の感情や感覚が捉えられるのは、とてもパワフルな機能だと思います。

ビジネスとは商売であり、商売とは人間関係ですから、結局のところビジネスだろうと何だろうと相手を慮る気持ちをどれだけ細やかにできるかということは、極めて大切なことです。

【売上=客数×客単価】なんて、ロジカルに分解して見るのもいいですが、もう少し”繊細な”目で見てみると、また違ったビジネスの姿が見えてくるかもしれませんね。

そのお金は、自分の"血肉"になっているか?

数か月前から支出管理を始めました。

後先考えず支出してきたここ数年なんですが、改めて現状を把握し、自分のP/Lをつくってみると、かなり無法地帯と化していました(汗) とくに今年に入ってからは、トライアスロンに参戦したこともあり、直視するのを躊躇ってしまう状況です・・・

***

そんな唖然としていた時に目にしたのが、俳優で、映画監督でもある津川雅彦さんの対談記事。印象的だったのが、津川さんのお金に対する姿勢について。

「宵越しの銭は持たない」というのは、江戸っ子ばりに金離れのよい(?)業界人の口からはよく聞かれることですが、津川さんもこれを信条とされているようです。

先輩からは、何より心を大切にし豊かにすること、ということで、

 「お金を美意識を磨くために使え」

と教えられ、

 「お金は貯め込んだって、お墓には持っていけないよ。入ってきたらさっさと使って血肉にしろ」

と、母から言われて育ったそうです。

そんな津川さんは、昔、生後五か月の娘が誘拐されて身代金を要求されたときも、一銭も持っていなかったそう。これ、かなり衝撃的なエピソードですよね・・・今だから言えるのかもしれませんが(笑)

74歳の今でも貯金はなく、不安はあるけど、それが今でも一所懸命働かせているパワーにもなっているということで。

***

私も、「自分が一番有望な投資先!」という信条(というか口実?)により、余裕がないにも関わらず、あえてサイフの口を引き締めることなく支出してきたここ数年。

もし、自分を投資先とみなしてお金を使うのであれば、リターンのあるいい投資だったのか否か、評価と反省が必要だなあと思っていたところでした。

「血肉になっているかどうか」というのは、そのためのいい評価基準であるるような気がします。

今日、使ったお金は、自分の血肉になっているでしょうか?

トライアスロンは少なくても、血肉にはなってるかなあ・・・死ぬほど(文字通り死ぬほど)学ぶことが多いしなあ(笑) もう一度、ほかの支出も見直してみたいと思います。